2015年04月16日

豊前宇都宮氏

このところ連日豊前(福岡県)方面の調査に出かけていますが、街道沿いのあちらこちらに見かけるのが下の幟。
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「軍師黒田官兵衛最大の宿敵 城井宇都宮鎮房」

と書かれているものです。

昨年、NHK大河ドラマで『軍師官兵衛』が放送されるようになったことで作成されたものですが、今も続けて立てられています。

これが福岡県側から大分県中津市に行くにつれて、“城井宇都宮鎮房”の幟に“黒田官兵衛”の幟が並んで立てられるようになり、山国川を越えて中津市に入ると、“黒田官兵衛”の幟だけに変わっていきます。

これまであまり知る人が少なかった豊前宇都宮氏ですが、宇都宮氏の菩提寺「天徳寺」にも見学者が以前よりも多く見受けられるようになってきました。
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武力では討つことが出来ず、結局は謀殺を選んだ黒田家のお蔭で、以前より知られることになったとは、皮肉なものです。
posted by 仁四郎 at 09:24 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月07日

筑前内野宿と俳諧の世界

小倉北区の常盤橋を始点とする長崎街道で、黒崎宿→木屋瀬宿―飯塚宿に続く4番目の宿場町が内野宿です。
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長崎街道の旧宿場町はたいてい訪問しているのですが、ここは我が家から車で1時間半ほどの距離なので、いつでも行けるという安心感からか、これまで来たことがありませんでした。今回この地が調査対象となったことで、初めて訪問しました。

市町村合併で、現在は飯塚市となっていますが、山間部の小さな集落です。
国道200号線がすぐ南を走っているため、旧街道はそのままの形で残されています。
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ここ内野宿は元禄から宝永・享保の時代にかけて、俳諧の文化が花開いた町でした。

著名な人物として、宝永2年(1705)に代表作『山彦』などを出版した荒巻助然(じょぜん)があり、その父荒巻西竹・従弟の荒巻苔路(たいろ)など、この一族を中心に内野の俳諧が広がっていきます。

代表的存在である助然の自宅“助然亭”は、各地の行脚俳人たちが訪れる俳諧の中心地だったようです。

内野宿は、長崎街道の宿場町であるとともに、秋月街道の拠点でもあり、大いに栄えていましたが、それにしてもこのような山間部の集落に俳諧の文化が花開くというのは、司馬遼太郎氏もどこかで話されていましたが、封建社会ならではというものでしょう。

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東構口から西構口まで約600m。当時の旅籠など、今では空き地になっているところも多く、歩くのに時間が掛かりません。

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この建物は「長崎屋」。江戸に向かうシーボルトが休憩したとか。
甘党に厳禁の「ぜんざい」の看板に釣られて、調査中にも拘らず、ついつい入ってしまいました。
posted by 仁四郎 at 23:41 | Comment(3) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月24日

予期しない古文書

熊本県天草の調査のために、大分県日田市に古文書探しに来ました。
というのも、江戸期の天草は一時期を除いて天領であり、その行政は天領日田に置かれた西国郡代が行っていたからで、その関係から天草関係の史料が所蔵されていないだろうかと考えたためです。

残念ながら期待外れな結果となってしまいましたが、意外な儲けものがありました。

それは、別件で調べている福岡県南部のある地域に関するもので、調査中の家のご先祖が書かれたのではないかと思われる古文書の発見です。なかなか有益な史料に出会えずに、長い期間にわたって苦労している案件なのですが、今回見つけた史料は決定的とも思える内容です! 別件の調査のために訪問し、全く予期せずに遭遇した幸運に飛び上がる思いでした。

その地域は、久留米藩領の中で飛び地のように天領になっているところだっただけに、日田に史料が残ったものと思われます。

長い間お待たせしている調査ですので、ご本人にも早くお伝えしたいところではありますが、その案件の調査のために来た訳ではないので、その家に関する調査資料一式を持参していません。このため、帰宅後に内容を精査し、調査中のご先祖に関する史料だと確信出来るまで迂闊にお知らせすることが出来ません。

早く帰宅して確認したいところですが、引き続き佐賀・長崎と宿泊を重ねる予定で出て来ていますので、その後となってしまいます。

併行して各地の調査をしていると、稀にこのように予想外のところで有益な史料に出会うことがあります。

家系調査も結構偶然が支配しているものです。
posted by 仁四郎 at 22:22 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月22日

五猿の像(尾道市大山寺)

尾道市の大山寺の境内で見つけた五猿(ご縁)の像

長い石段を登って、ようやく辿り着いた境内でこのような像が迎えてくれました。
興味深いものでしたので、当ブログに掲げてみました。

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みてご猿
      
いうてご猿
 
きいてご猿

まえむき猿

でご猿
posted by 仁四郎 at 16:40 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月20日

尾道市にて

尾道市の調査に来ています。

今回の調査は、これまでに経験がないほど何のヒントもない調査で、ご先祖が実際に尾道に住んでおられたのかどうかさえ分からないというものです。
本来なら、お受けすべき案件とは思えないものでしたが、ご依頼人の調査に対する熱意を感じ、大変な調査になることを覚悟してお受けしたものです。

本日は、終日尾道市内の墓地調査で、全部で19の寺院の墓地を調査して回りました。

尾道といえば、坂と石段の街で有名なところ。
この↓ような石段をひたすら昇り降りを繰り返し、ホテルに戻った時点で、歩数計の数字が21,647歩!
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普段、せいぜい3,000歩程度しか歩かない私にとって、この数値は驚異的です。
しかも、急な石段の連続ですので、歩数計に示された数値以上に疲労感があり、膝がガクガクです。

ところで、尾道の寺院内にある墓地の多くは、江戸期の古いもので、「屋号」が彫られた墓碑が大変目立ちます。また、これらの墓碑が実に立派なものばかり。
北前船の寄港地でもあった当時の尾道商人の繁栄振りが偲ばれるものでした。

明日は、お隣の三原市に舞台を移し、同様に墓地調査を続ける予定で、爆弾を抱えた右膝は湿布だらけになっています。

ちなみに、本日の宿泊は、尾道市のビューホテルセイザン。
ここを選んだ理由は、とにかくホテル全体が”タイ”というところです。

ホテル玄関には、タイの三輪タクシー”トゥクトゥク”が置かれており、ロビーもタイっぽい雰囲気。
レストランの夕食はタイ料理のコースで、流れる音楽も室内も”タイ”なのです。
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私は大のタイ好きで、学生時代に訪れて以来、これまで数十回は訪問していますし、将来は移住したいと考えているほどですので、出張中にこのような雰囲気に浸れるというのは、実に有り難いことであります。

尾道の石段にすっかり弱ってしまいましたが、これで明日また頑張れそうです。
posted by 仁四郎 at 21:29 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月13日

高知城の夜景

江戸初期までの調査のために、高知県に来ています。

ここの県立図書館は、高知城の中に建てられています。
19時の閉館まで粘って古文書の調査をした後、外に出て天守閣を見上げると、照明の光を浴びて夜空に美しく浮かび上がっていました。

あまり綺麗だったため、望遠で写してみました。
ホテルに戻って見てみると、かなりのピンボケでしたが、少しは美しさが伝わっているでしょうか。

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posted by 仁四郎 at 21:13 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月05日

江戸期の墓碑の建立費用

ある地区の庄屋家文書を調べていたところ、次のような面白い文書を見つけました。

亡父石碑文化十一年四月十七日成就、石工○○村兵助、銘書室生寺隠居
銭弐百弐拾目 石工渡シ
同八匁七分五厘 銘書礼物
同廿五匁  酒取
同     取寄賄入切
 (略)
此外銭九拾目子供石碑五ツ、壱ツ拾八匁宛

文化11年(1814)、亡父の墓碑の完成に伴い、その支出の明細を書いたものです。このように、墓碑建立の費用が書かれた文書は初めてみました。

石工に銭220目。
墓碑の銘を書いてくれた菩提寺のご隠居さんに8匁7分5厘。
墓碑建立の祝い酒と料理に各25匁ずつ。
また、同時に子供の墓碑を5基建て、1基18匁で、計90目。

計378匁7分5厘。

ちなみに、当時の米価は1俵で約50匁というところですので、墓碑建立の費用の大きさが実感されます。(まあ、庄屋家の墓碑ということもありますが)

※金銭の単位を匁と書いたり目と書いたりされていますが、匁=目です。
ただ、10匁単位でない場合はこの目の表現はしません。
たとえば、18匁を18目とは書きません。
posted by 仁四郎 at 20:37 | Comment(0) | 歴史一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月20日

福岡藩「諸士由来写見」

以前にも当ブログで少し言及致しましたが、九州歴史資料館(小郡市)には、福岡藩士の「諸士由来写見」が所蔵されています。

これは、藩が明和年間頃(1764~)に家臣に提出させた先祖書で、各家の黒田家に仕えた初代からの系譜が記載されているもので、先祖が福岡藩士だったという方には、絶好の史料かと思います。

今回、数年ぶりに閲覧をしに行ったところ、原本の痛みが激しくなったということで、マイクロフィルムでの閲覧しか許可されませんでした。

マイクロフィルムになってしまうと、原本のページをめくるよりも随分スピードが遅くなってしまうので、今後のために掲載されている家の姓を全て書き写してきました。(全藩士の記録が収用されているわけではない。)

参考までに、当史料に記載されている藩士の姓を挙げておきます。(以下、イロハ順)

池内・井口・磯野・伊丹・岩?・林・原・早川・原田・新・二宮・帆足・細江・時枝・筑紫・小河内・小河・大野・大村・大戸崎・岡村・大垣・荻野・岡・若松・川増・神屋・神古・加藤・幸田・海津・菅・吉田・立花・田中・高橋・高畠・高田・田村・津田・根本・中嶋・長濱・長谷・中上・中村・村瀬・村山・梅沢・野田・黒田・久世・久富・栗田・繻エ・山内・安田・山中・八尋・山崎・矢野・保田・松本・許斐・郡・小西・寺田・安東・斎藤・沢辺・佐野・笹川・浅井・木枝・三好・水野・溝部・三隅・四宮・嶋村・白水・塩川・庄野・真藤・平井・久田・平野・守田・杉山・杉原・隅田 

 以上91姓、その他損耗が激しく解読不可の姓が7姓。(1姓に複数の家あり)

posted by 仁四郎 at 20:01 | Comment(0) | 家系調査の方法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月22日

マイクロフィルムと格闘

地元福岡県の調査。

有難いことに明治初期から江戸期に書かれた古文書が非常に多い地域なのですが、その大半がマイクロフィルムに収められた形で閲覧に供されているため、大いに苦しめられています。

というのも、私はメニエル氏病持ちで、マイクロフィルムが天敵のような存在なのです。

古文書の原本やその複写といった“紙資料”で見る場合であれば、素早くページを捲りながら調査に有益な部分を見つけ出していけば済むのですが、マイクロフィルムの場合はそうは参りません。

目次などありませんし、どのような資料がどの部分で登場するのかが分かりませんので、1画面毎にチェックしなければならないのですが、1リールにかなりの分量が収められているため、画面を流しつつ見ていくことになります。

この流れていく画面に映る古文書の文字を素早く読み進めるという作業が、メニエルの症状である目まいや吐き気を誘発させるもので、1時間も続けていると、もうフラフラ。そこを何とか騙し騙し続けて、2時間弱ほどで1リールを見終えることが出来ます。

直後は目まいですぐには歩けず、吐き気を我慢しながらしばらくイスに座ってから帰ることの繰り返しです。

ご依頼人の方には、かなりお待たせしているので、結構焦ってはいるのですが、1回に1リールが限界です。

しかし、これほどマイクロフィルムが多いところも珍しい。
posted by 仁四郎 at 17:52 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月09日

都城島津家の家臣の系譜

都城島津家の旧家臣の家系調査。

薩摩藩の私領である都城島津家4万石の主な家臣の系譜が宮崎県文書センターに所蔵されています。

「都城島津家所蔵関係資料」として、諸家系譜や諸家由緒、諸家姓氏、諸家家筋調などの文書群があり、予め申請をして閲覧許可を得ておく必要がありますが、都城島津家の家臣の家系調査を行う方にとっては、貴重なものです。

ただ、問題がひとつ。
これらの文書は、閲覧のみであり、複写は勿論撮影も許可されませんでした。許されたのは、筆記だけです。かなりの分量でしたので、「筆記が良いのなら撮影も許可したって良いじゃないか!」と心の中でぶつぶつ言いながら、長い時間を掛けて書き写さざるを得ませんでした。

全て江戸期に書かれたものですので、古文書の解読が出来なければ書き写すことさえ難しいことですが、それをクリア出来る方にとっては貴重な文書かと思います。
posted by 仁四郎 at 13:49 | Comment(0) | 家系調査の方法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする