2016年03月05日

12年前の新聞記事

12年前に朝日新聞社さんから取材を受けたことがありました。

今でこそ、マスコミからの取材依頼は原則としてお断りさせて頂いていますが、当時の家系調査という業務は、今以上にマイナーな存在でしたので、新聞に掲載されて少しでも周知されることが嬉しかったのを覚えています。

本日、その時の記事の切り抜きを持たれた来客がありました。

その記事を切り抜いて保管されておられたのは、昨年亡くなられたお父様だそうで、遺品の整理をしていた時に箱の中から出てきたということです。

「そういえば家系図を作りたいとか話していたなぁ。」ということで、ご兄弟で話し合って、亡きお父様の代わりに息子さんがお申込みに来られというわけです。家系図が完成したら仏壇に供えたいとのこと。

12年も前の切り抜きをよくぞ今まで持って頂いていたことに感謝致しました。

嬉しいお話でしたので、ご本人の許可を得て、ちょっとブログの題材にしてみました。

posted by 仁四郎 at 22:01 | Comment(0) | 日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月15日

開口神社(堺市堺区)

200年間を辿る基本調査で堺市に来ています。

ここは、街の随所にレンタサイクルの貸出所があり、一日300円で借りることが出来ます。

今回は2泊3日の予定で、その内の一日を旧市街の寺社調査に当てていましたが、結構狭い地域に集中しているし、一方通行や狭い道路も多そうでしたので、レンタカーではなく自転車で回ることにしました。

自転車に乗るのは、4年ほど前に行った鹿児島県の甑島の調査以来のことでしたので、運動不足の足腰が悲鳴を上げています。やはり、家系調査には、十分な体力が必要です。

ただ、結果的に正解だったようで、駐車場の心配も要らず、車を使う以上に効率よく回れました。

さて、いつものように相変わらず狛犬の撮影です。
堺市堺区甲斐町に鎮座する開口(あぐち)神社です。この神社は、堺旧市街を南北に二分する堺南組の氏神社です。
アーケード街を歩いていると、商店街の途中に突然神社の鳥居が現れるというちょっと変わった位置にあります。
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早速、狛犬を撮影。

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安産祈願の神社らしく、阿形は前脚に子供の狛犬を抱いています。

とにかく大きい。像高181cm 台座の高さを含めると約380cm。
大阪府一の高さとのこと。

堺市での宿泊は、アゴーラリージェンシー堺
部屋の窓からは、堺の港の全景を眺めることが出来ます。

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淡路島を唐隠しと呼んだ気宇壮大な黄金の日々の時代とは比ぶべくもないのでしょうが、かつての繁栄を偲びつつ暖かい部屋から眺めるのも悪くはないものです。
posted by 仁四郎 at 16:21 | Comment(0) | 各地の狛犬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月28日

宝当神社(佐賀県唐津市)

佐賀県での基本調査。

唐津市近代図書館で手当たり次第に文献を漁っていたところ、地域の旧家の系図集のような古い冊子があり、その中にご依頼人のご本家の系図を発見! 初代のご先祖が戦国期に安芸毛利家を出奔し、肥前の山奥に住みついたことが家の始まりであることが書かれていました。

200年間の調査が目標のところ、400年以上も遡ることが出来ました。
後は、この系図を精査するだけです。

予定以上に早く終了しましたので、「宝当神社」で有名な高島に渡ってみました。

唐津城下に定期船(ニューたかしま)の乗り場があります。料金は210円、乗船時間は約10分です。ただ、定期船は時間の間隔があり、帰りは水上タクシーを利用しました。こちらの料金は片道500円也。
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寒いのにもかかわらず、宝当神社には結構参拝者が多いのに驚きました。なんとか人が途切れた瞬間を狙って鳥居と拝殿を撮影。
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この神社は、宝くじが当たる神様ということで有名ですが、私は宝くじは買わないので、普通にお参りをして、島の奥を散策。
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島の北側は山で南部の海沿いの狭い地区に人家が集まっています。写真のとおり、車一台通れない狭さです。

通路を歩きつつ各家の表札を見ていたら、どの家も「野崎」と書かれています。
後で調べてみたら、島の住民98軒中、なんと94軒が野崎姓!(電話帳調べ)
島民のほとんどが野崎さんです。

この野崎さんの祖が野崎隠岐守綱吉という人物。
綱吉は、天文23年(1554)信州諏訪生まれ。成人して九州に渡り、豊後の大友氏に仕え、後に肥前の草野氏の家臣となったとあります。

草野氏の家臣時代の元亀4年(1573)、龍造寺隆信率いる5,400の軍勢から草野氏の居城草野城が攻められた時、綱吉らの奮戦で撃退。

しかし、組織として良くあることながら、新参者である綱吉の活躍が気に入らない草野家の老臣たちの妬みを受け、居辛くなった彼は草野家を出奔し、高島へ移り住んだということです。

島の奥には、神社がもう一社。綱吉が建立したとされる「塩屋神社」です。

恒例の狛犬撮影。
シンプルな造形ですが、力強さを感じさせます。
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posted by 仁四郎 at 17:34 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月27日

手紙の成果

宗派も分からないという旧菩提寺探しのため、明治初期の本籍地周辺の14軒の寺院に対し、1月7日に一斉に照会の手紙を出していましたが、今日までに1軒を除く13軒から返信を頂きました。

この内、4番目に届いた寺院の返信に、「過去帳にご先祖の記録があった」旨の記述がありました。

宗派も分からないし、周囲にはご本家どころか同姓の家さえないという状況でしたので、菩提寺探しは難航しそうだなと覚悟していましたが、あっさり判明。良い意味で拍子抜けしてしまいました。

早速、お礼を兼ねて詳細を伺いに参りたいと思います。

ただ、問題点がひとつ。
14軒中1軒の返信が頂けていないことです。

現実的には難しいとは思いますが、やはり100%の返信率を目指さなければなりません。
posted by 仁四郎 at 17:17 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月26日

火災の記録から居住地を特定

明治初期以前、どこに居住していたかご依頼人も分からない案件。

最も古い戸籍は転籍後のものだけで、それには転籍前の本籍地の記述がありません。
ただ、明治初期に広島県の東部地域周辺から関西に移ったのではないかという言い伝えがあるだけでした。これでは、どこから手を付けてよいかも分かりません。

唯一の手掛かりは、ご依頼人家に伝わる古い文書があり、それに「宝暦八年極月廿七日、隣家から発生した火災で家に伝わる古文書が焼失した。」と書かれていることでした。極月とは12月のことです。

消防活動といっても、延焼を防ぐために建物を取り壊すだけという時代、火災は今以上に大きな事件です。このため、郷土史には火災の記録が残されていることが多いもので、とにかく広島県の全ての市町村の郷土史から「宝暦8年12月27日」に起こった火災記録を調べてみました。

県内全ての郷土史を調べるのに大変な時間が掛かってしまいましたが、この努力が実って、広島県東部の某市の郷土史に同年月日に起こった火災の記録を発見! その他の郷土史に同年月日の火災の記録がないことから、この火災で間違いありません。

この火災により128軒が焼失したとのことで、出火元も書かれていました。
これにより、ピンポイントで居住地を特定することが出来ました。

広島県の東部地域周辺という漠然としたものでしたので、実に大きな前進です。
posted by 仁四郎 at 16:37 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月25日

手紙・手紙・手紙・・・

家系調査では、手紙を書くことが大変多いものです。
今月だけで、16通の手紙を出しています。

旧菩提寺探しの為の寺院への手紙を筆頭に、ご本家探しや情報収集の為の同姓の家への手紙、郷土史家の方や郷土史雑誌の事務局、その他の関係諸機関など。

手紙を受け取るお相手側からすると返事をする義務のないものですし、悪質な詐欺が横行する時代ですので、なんとなく胡散臭いと思われる恐れもあります。

必ず返信を頂くためには、当方の熱意を感じて頂け、「返事くらい出してやろうかな。」と思って頂けるような文章にしなければなりませんが、かといってあまり長文になってしまうと読んで頂けないかも知れません。

抵抗なく読んで頂ける長さは、せいぜいA4用紙で1枚半くらいかなと考えています。

その長さの中に、熱意と誠意を感じて頂ける文章を、分かり易く簡潔に!
これが難しいもので、1通の手紙を完成させるだけで結構疲れます。

年末年始の休暇中に、さらに多くの手紙を完成させておこうと思っています。
posted by 仁四郎 at 13:32 | Comment(2) | 日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月01日

岩崎八幡神社(秋田県湯沢市岩崎)

当ブログ中では最も北に位置する秋田県湯沢市の「岩崎八幡神社」です。

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岩崎という地域の小さな神社ですが、なんとなく憎めない狛犬の表情に魅かれて撮影してしまいました。
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福岡からはるばる秋田県まで来てしまいましたが、初日で風邪を引いてしまいました。
熱を出しての現地調査は辛いです。
posted by 仁四郎 at 20:33 | Comment(3) | 各地の狛犬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月20日

河内神社(高知県土佐町)

高知県土佐町相川に鎮座する「河内神社」です。
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面白いことに、拝殿に近い場所には、いつもの狛犬ではなく、鳥の像が置かれていました。

拝殿に向かって左↓

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鷹の像かと思われますが、爪の下にはウサギが捕まえられています。なかなか凛々しい姿です。

拝殿に向かって右↓

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鷹ではありませんね。羽の模様から”ふくろう”でしょうか。
やはり、爪の下には何か小動物が捕まえられているようですが、何の像なのかが良く分かりません。

拝殿の直近には普通の狛犬はありませんでしたので、この鷹とふくろうの像が神様を守っているように思われます。

結構、全国の神社を見ていますが、このようなものは初めて見ました。
posted by 仁四郎 at 21:43 | Comment(2) | 各地の狛犬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

新聞社の取材

地元西日本新聞社さんから取材を受けました。

以前は、テレビやラジオ・新聞社・雑誌などから取材依頼があると、快く受けていたのです、近頃では全てお断りするようにしていました。

家系調査というのは、人権やプライバシーなどの微妙な問題に触れざるを得ない面があり、あまり興味本位にマスコミに取り上げられるべきではないというのが一番の理由です。

また、「〜から取材を受けました!」といった内容を誇らしげにホームページにアップしているところと同列になりたくないという、“小さなプライド”のためでもあります(笑) マスコミの取材を受けたことは、錦旗を授かったわけではありませんから。

ところが、今回の記者氏は、ご自身も興味を持たれているようで、かなり勉強をなさっておられることが伝わって参りました。なにより、個人的に非常に好感が持てる方でしたので、これはお断りしてはいけないと思われました。

別にマスコミの取材が嫌だということではなく、面白半分に扱われたくないというだけですので、真面目に取り上げて頂けるのであれば、大いに結構なことです。

結局、1時間半にも亘ってお話をさせて頂き、楽しい時間を持つことが出来ました。

どのような記事になるのかは分かりませんが、こっそり読んでみたいと思っています。
posted by 仁四郎 at 18:09 | Comment(0) | 日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月20日

中津市「栗山堂」

中津市京町にある和菓子「栗山堂」さんです。

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こちらのご先祖は、黒田官兵衛が最も信頼した家臣のひとり、栗山備後利安とのこと。
通称善助。黒田家筆頭家老で、黒田二十四騎、黒田八虎のひとりですね。

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店頭に飾られた「栗山利安」の肖像画

黒田家は、関ヶ原の戦い後、豊前中津から筑前福岡52万石に移封され、当然栗山利安も福岡へ移りますが、この時「栗山の姓を絶やさぬように」とのことで、一族のひとりが中津に残ったとか。

当初は、城下に残って刀鍛冶を生業としていたが、博多の寺院で外郎(ういろう)の製法に出会い、それを副業にしていたとのこと、徐々にそれが本業となって現在まで至っておられるそうです。

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私にとっては、子供の頃からの懐かしい味です。 


私の先祖も同じ中津城下で鍛冶屋をやっていましたので、江戸期にはこちらのご先祖と会話を交わしたことがあるかも知れません。

さて、ここ中津市でひとつの長い調査が終わりました。

筑後地方から始まった調査ですが、ご先祖の事蹟を追って、調査の舞台が飯塚市→福岡市→豊前地方と続き、この大分県宇佐市から中津市で終了です。なんと4年弱という長期に亘ります。ほっと一息ついた感じです。

今はせっせと報告書作成中ですが、過去最多のページ数になりそうです。
posted by 仁四郎 at 11:27 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする