2017年03月24日

陸軍中野学校の名簿

ご依頼人とお話をする中で、「親族の中に陸軍中野学校の出身者がいるらしい」とお聞きしました。
本来の調査の範囲ではありませんでしたが、私自身の興味も手伝って、調べてみることにしました。

ところが、いざ調べてみると、なかなか名簿のような文書が見つかりません。
本来、その全てが秘密になっている存在でしたので、そういうものかなと思っていたところ、国立国会図書館所蔵の中野学校に関する図書中に、名簿の記載があることが分かりました。

やっと手に入れた名簿を調べると、確かにご依頼人のご親族の方の氏名が書かれていましたので、早速ご報告させて頂きました。

この名簿には、教職員を含めた全関係者2,263名が記載されており、この内生存者1,458名、不明者376名、戦死者289名、その他の死亡者140名となっています。

占領地や敵地での諜報員として活動する特殊性を考えると、生還できなかった方がもっと多いのではないかと思っていましたが、意外な数字だと思いました。
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2017年03月13日

畝順帳(せじゅんちょう)

この5年ほど、なぜか愛媛県内での調査が途中絶えることなく続いています。
現在も2件の調査を進めているところで、直近5年間に限ると、地元福岡県を含め全国どこの都道府県より多い依頼件数となっています。

現地に行く度に、調査対象に直接関係するものだけではなく、その周辺の古文書や明治期の行政文書その他の撮影や複写を行っていますので、愛媛県内での情報の集積が膨大な量となってきています。

ところで、愛媛県内での調査では、現地調査に加えて必ず訪問するのが県立図書館です。
古文書の所蔵がかなり充実しており、かつ検索・閲覧もし易くて助かっています。

特に役立っているものの一つが「畝順帳」(せじゅんちょう)。
この畝順帳とは、地租改正の際に作成された土地台帳であり、法務局で閲覧する旧土地台帳より10年以上前の状況を知ることが出来ます。また、ほとんどがデジタル化されており、県内全地域のものを図書館内のパソコンで自由に閲覧及び複写が出来るというのが何よりの魅力です。

愛媛県内の調査を行う方にはお勧めの史料です。
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2015年02月20日

福岡藩「諸士由来写見」

以前にも当ブログで少し言及致しましたが、九州歴史資料館(小郡市)には、福岡藩士の「諸士由来写見」が所蔵されています。

これは、藩が明和年間頃(1764~)に家臣に提出させた先祖書で、各家の黒田家に仕えた初代からの系譜が記載されているもので、先祖が福岡藩士だったという方には、絶好の史料かと思います。

今回、数年ぶりに閲覧をしに行ったところ、原本の痛みが激しくなったということで、マイクロフィルムでの閲覧しか許可されませんでした。

マイクロフィルムになってしまうと、原本のページをめくるよりも随分スピードが遅くなってしまうので、今後のために掲載されている家の姓を全て書き写してきました。(全藩士の記録が収用されているわけではない。)

参考までに、当史料に記載されている藩士の姓を挙げておきます。(以下、イロハ順)

池内・井口・磯野・伊丹・岩?・林・原・早川・原田・新・二宮・帆足・細江・時枝・筑紫・小河内・小河・大野・大村・大戸崎・岡村・大垣・荻野・岡・若松・川増・神屋・神古・加藤・幸田・海津・菅・吉田・立花・田中・高橋・高畠・高田・田村・津田・根本・中嶋・長濱・長谷・中上・中村・村瀬・村山・梅沢・野田・黒田・久世・久富・栗田・繻エ・山内・安田・山中・八尋・山崎・矢野・保田・松本・許斐・郡・小西・寺田・安東・斎藤・沢辺・佐野・笹川・浅井・木枝・三好・水野・溝部・三隅・四宮・嶋村・白水・塩川・庄野・真藤・平井・久田・平野・守田・杉山・杉原・隅田 

 以上91姓、その他損耗が激しく解読不可の姓が7姓。(1姓に複数の家あり)

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2014年10月09日

都城島津家の家臣の系譜

都城島津家の旧家臣の家系調査。

薩摩藩の私領である都城島津家4万石の主な家臣の系譜が宮崎県文書センターに所蔵されています。

「都城島津家所蔵関係資料」として、諸家系譜や諸家由緒、諸家姓氏、諸家家筋調などの文書群があり、予め申請をして閲覧許可を得ておく必要がありますが、都城島津家の家臣の家系調査を行う方にとっては、貴重なものです。

ただ、問題がひとつ。
これらの文書は、閲覧のみであり、複写は勿論撮影も許可されませんでした。許されたのは、筆記だけです。かなりの分量でしたので、「筆記が良いのなら撮影も許可したって良いじゃないか!」と心の中でぶつぶつ言いながら、長い時間を掛けて書き写さざるを得ませんでした。

全て江戸期に書かれたものですので、古文書の解読が出来なければ書き写すことさえ難しいことですが、それをクリア出来る方にとっては貴重な文書かと思います。
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2014年07月08日

金禄調帳

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廃藩置県の後、それまで各藩が給付していた士族等への家禄を引き続き明治政府が給付していましたが、明治8年9月7日、これまでの“米給”をやめ金銭での給付に改めました。この際に作成されたものが『金禄調帳』です。(それ以前に作成されたものもある)

今回、旧佐賀藩士の調査のため、この金禄調帳を調べてきましたが、佐賀県内のものは全て長崎県が所蔵しており、わざわざ長崎市内まで出向かねばなりません。毎回思うのですが、面倒なことです。

この金禄調帳の有益なことは、当時家禄を給付されていた者であれば、分限帳であまり記載されていない下士や足軽・陪臣などでも確認出来ることです。

「江戸時代は武士だった」という言い伝えはあるが、除籍謄本と分限帳が繋がらないというケースは多いものです。

例えば、幕末の分限帳が存在せず、除籍謄本で分かったご先祖が武士だったか否か分からないとか、分限帳があったとしても身分の低い藩士や陪臣(藩士の家来)などで分限帳には記載がなかった場合など、この金禄調帳が役立つことがあります。
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2014年06月04日

郷土史会の会報の利用

調査の対象地区の郷土史会の会報をみたところ、研究論文の掲載者の中にご依頼人と同じ地域の同姓の方がおられたので、先日お手紙を出していましたが、本日返信を頂きました。

かなり詳しい内容で、調査を大きく前進させることが出来ました。

このような郷土史の研究会は、多くの市町村ごとに存在しています。
当事務所がある岡垣町にも岡垣歴史文化研究会という組織があり、『木綿間』(ゆうま)という会報を出しています。

この郷土史会とそこが発行している会報の存在は、家系調査を行う過程で必ず確認しているところです。

郷土史会は、市町村ごとに存在するわけですので、当然ながら研究の対象地域もその市町村内のことになり、必然的に狭く深い研究を行っておられます。

多くの会報には会員名簿の記載もありますので、その名簿を確認するのですが、今回のようにご依頼人と同姓の会員の方がおられれば、必ずお手紙を出させて頂くか、直接訪問させて頂くなど、何らかの方法で教えを乞うようにしています。

もともと郷土の歴史に興味を持たれている方々ですので、協力的な場合がほとんどですし、地域の歴史や古文書などについて詳しい情報をお持ちです。ご協力を仰がない手はありません。
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2014年01月15日

壬申戸籍の下調帳

明治5年に始まったいわゆる壬申戸籍が閲覧を禁じられていることは、周知のとおりです。

しかし、その前年の明治4年を中心とした時期に、各地で戸籍の下調べが行われており、その時に作成されたものを歴史史料として閲覧可能なものが結構存在します。

下調べといっても、記載されている内容が大きく異なるものでもありませんし、壬申戸籍よりさらに1年前に作成されたものだけに、より貴重な情報源といえます。

ここのところ、このような下調帳に巡り合えることが続いており、非常に助かっています。

ちなみに、ここでは便宜上“下調帳”と書いていますが、名称はそれぞれの地域で異なります。

下の画像は、先日見つけた九州北部のある村のもので、表題には『戸籍取調下帳』と書かれています。

DSCF4600.JPG

(クリックすると大きな画面になります。)


by山崎
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2013年11月12日

分限帳調査の注意点

先祖がどこかの藩士だったと伝わっている場合、まずはその藩の分限帳(藩士の名簿、藩によって呼び方が異なる)で調べることになります。

分限帳といっても各時代に作成されたものがありますので、まずは除籍謄本と重なる時期のものを選び、最も古い除籍謄本で確認出来たご先祖と氏名が一致する藩士の存在を確認することで、自分の先祖であるか否かを特定することが出来るわけです。

除籍謄本と時期が重なるということは、必然的に幕末〜明治初年に作成された分限帳ということになります。

ここに一つ大きな問題があります。
それは、明治維新前後に改名しているケースが非常に多いということです。

豊前小倉藩について、私が実際に調べて統計を取ってみたのですが、知行取388人中198人、切米取1061人中521人、計1449人中719人、実に約半数が改名しています。

実際にどのような改名をしているかは、私の作りかけのサイトで確認できますので、興味がある方はご覧になってください。改名している場合は、名前の後ろに(後に喜蔵)といった表現で書き込んでいます。
http://kokurahan.seesaa.net/category/21194323-1.html

明治維新前後で改名してしまっていると、除籍謄本で判明した名前と幕末頃の分限帳に記載されている名前がたとえ同一人物であっても一致せず、ご先祖かどうか分からないということになるわけです。

ここでは、小倉藩だけを例として取り上げましたが、小倉藩だけが突出しているということは考えられず、他の藩にしても似たような数値が出るのではないかと思われます。

この問題をカバーする方法のひとつとして、主に明治5年頃以降に作成された金禄帳の調査がありますが、それはまたいつか書こうと思います。

とにかく、武士だったという言い伝えがある場合、分限帳に同じ名前が見当たらないというだけで、自分の先祖は武士ではなかったのかと安易に結論付けないことです。

by山崎
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2013年10月09日

竿次帳

鹿児島県の奄美諸島など離島地域での家系調査は、非常に難しいものです。

例えば、奄美大島や徳之島・喜界島などの場合、江戸期の寺院といえば薩摩藩の影響下で建立された禅寺だけであり、これらの寺院は全て明治維新後の廃仏毀釈によって破壊されています。

もともと全国の諸藩の中でも、薩摩藩の廃仏毀釈は特に徹底したものでしたが、奄美諸島も例外ではなく、仏教に関わることは破壊尽くされました。

このような事情から、現在存在する寺院は、全て明治以降に入ってきたものばかりですので、家系調査で重要な“江戸期の過去帳”がありません。
同様の理由で墓碑の調査も役に立ちません。

また、過去帳や墓碑に並ぶ重要さを持つ宗門人別帳も、ここでは「宗門手札」という木札を一人ひとりに渡して島民管理の手段としていただけで、村人全員の記録がある宗門人別改帳のような存在はありません。
その他の古文書にしても、村人の名前が一覧できるようなものは、ほとんどありません。

結局、家系調査の三大要素とも云うべき過去帳・墓碑・古文書が全く役に立たないのです。

ただ、地元の博物館の学芸員さんに教えて頂いたのが、『竿次帳』の存在。
この竿次帳とは、明治12年に地租改正のための基礎資料として作成されたものです。

地租改正といえば、全国的には明治6年(1873)から始まったものですが、鹿児島県は西南戦争のために実施が遅れて明治12〜14年に行われたため、竿次帳の作成が明治12年になったということです。

この竿次帳には、@字名A地目B面積C所有者が記録されており、旧土地台帳で十分カバーできるのですが、旧土地台帳より10数年前に作成されただけに、場合によれば一世代前のご先祖の名前が確認出来るというメリットがあります。

さらに、それ以上のメリットは、これが村毎に綴じられ、1番地から順に書かれていることです。旧土地台帳であれば、明確に居住番地が分からなければ、その請求は難しいのですが、当時の戸籍は地番ではなく番屋敷(番戸・番邸)で表示されているため、実際の番地が不明です。竿次帳であれば、村毎に1番地からチェックすることでご先祖の名前が見つかるわけです。当然、当時の地番も判明します。

重要な調査材料がない地域だけに、竿次帳の存在は非常に有難いのですが、一番の問題は、これを所蔵している機関が国立公文書館のつくば分館ということです。鹿児島の離島調査のために、茨城県つくば市まで行かなければならないので、これが一番痛いところです。

by山崎

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2012年03月10日

古いゼンリン住宅地図の活用

古い時代に作成されたゼンリン住宅地図は、家系調査に役立つことが多いものです。

一例として、墓地調査の際に活用できます。
ご依頼者と関係がありそうな家の墓碑を見つけた際、裏面に彫られている建立者名を基にその家を探し、聞き取り調査などを行っています。たとえば「昭和六十年三月一日 山田太郎建之」といった表現で彫られていますが、その方が存命中であれば、ゼンリン地図で簡単に探すことが出来ますが、既に亡くなられていた場合にはゼンリンにも電話帳にも記載がないことになります。同じ苗字の家が周辺にたくさんあるような場合には、その家を特定することは難しいものです。

こんな時、古いゼンリン地図が役に立つことがあるのです。

ゼンリンという会社は、昭和23年に観光文化宣伝社という社名で、別府の観光ガイドを出版したことから始まるのですが、同27年に別府市の住宅地図を刊行したのが住宅地図の第一号となります。

その後、善隣出版社と商号変更し、小倉に本社を移転し、昭和58年に現在の株式会社ゼンリンとなります。このため、例えば図書館のホームページで検索する場合、出版社の欄に「善隣」をキーワードに入れることにより、古い住宅地図を探し出すことが出来ます。(県立図書館程度の大きな図書館なら、所蔵されていることが多い)

ただ、北九州を拠点に発展した会社だけに、東日本ではあまり古い地図は検索されませんが、九州内などでは1960年代に作成された地図も少なくありません。

私の生まれ故郷は大分県中津市ですが、ここでは私が生まれる前の昭和32年(1957)に作成された住宅詳細図を見ることが出来ます。これには、私の祖父の名前が書かれていましたが、このように約2世代前の時代の地図ということになりますので、家系調査を目的としないでも、普通に眺めていても結構楽しめるものです。
posted by 仁四郎 at 15:06 | 家系調査の方法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

小倉城下絵図

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「小倉藩士屋敷絵図」です。

この絵図は、幕末の安政年間(1854〜)に作成されたもので、当時の藩士の氏名が書き込まれています。ただ、藩士屋敷絵図というくらいですので、藩士のみであり、町屋は「町屋敷」とだけしか書かれておらず、商人などの名前の記載がありません。

これとは別に、「藩政時代小倉市内圖」という絵図があります。
この絵図は、上記絵図とは逆に、町屋敷だけに名前が書き込まれた絵図です。町屋ですので、苗字はなく「豊前屋彦兵衛」といったように屋号付きであったり、「大工源太郎」といったように職業付きであったりしています。

ただ、この絵図では、東曲輪だけしか描かれていないという弱点があります。

小倉城下は、小倉城を挟んで東西に分かれて町が広がっており、現在の小倉の商業の中心地である米町や魚町・紺屋町などを含む地域が東曲輪で、田町や竪町などを含む地域が西曲輪と呼ばれていました。

ちょうど私も西曲輪の田町周辺にあったであろう商家の調査をしているのですが、せっかくの「藩政時代小倉市内圖」が役に立ってくれません。

これを解決してくれるのが、小笠原文庫所蔵の 「小倉城下町屋之図」です。
この絵図には、西曲輪の町屋敷も描かれています。

小笠原文庫は、もともと旧藩主小笠原家の豊津別邸に保管されていたものですが、 育徳館高校の錦陵同窓会を経て、現在はみやこ町歴史民俗博物館に寄託されています。

ただ、残念なことに、この絵図は痛みが激しく現物を閲覧させてはもらえないのです。
近いうちに、絵図全体を撮影し、それを閲覧できるようにするとのことですので、私もそれまでじっと待っているところです。
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2011年11月04日

福岡藩の分限帳

現在、ある福岡藩士の家系を追っていますが、いつものことながら福岡藩の分限帳調査には泣かされます。福岡藩の分限帳は、大藩の割にはまとまりが悪く、記載されている事項も石高や氏名その他僅かなもので、家系調査となると結構大変です。

現在、出版されているものとして、
@福岡藩分限帳集成
A黒田三藩分限帳
の2冊があります。

ただ、この2冊で江戸初期から明治初年までの全時期をカバーすることは出来ませんので、カバーされていない時代の分限帳を調べなければなりません。

ところが、厄介なことに、これらの分限帳が一か所に所蔵されておらず、いくつかの施設で少しずつ所蔵されているため、それらを廻らなければならないという無駄な手間が掛ってしまうのです。

たとえば、これがお隣の佐賀藩であれば、佐賀県立図書館に行けば全時代が分かりますし、長州藩であれば山口県立文書館で「毛利氏八箇国御時代」から明治初年までの原本そのものを見ることができるのですが・・・。

結局、まず県立図書館で調べ、福岡市立図書館→県立九州歴史資料館(小郡市)→九州文化史資料部門(九州大学内)と廻り、ようやく全時代をカバーできます。(細かく言えば、さらに他の機関もありますが)
特に、九大にある九州文化史資料部門はなかなか入室自体ができず、一か月以上は待たねばなりません。

なんとか一か所にまとめてもらいたいものです。

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福岡県立九州歴史資料館(小郡市)

ここでは、明和元年に家臣に提出させた先祖書「諸士由来写見」が所蔵されています。
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2011年03月01日

聞き取り調査

現地の同姓の家や古老・郷土史家等々への聞き取り調査は、家系調査においてとても有益な情報を得ることが出来る手段の一つです。なかなか進まなかった調査が、現地の方の一言で大いに進展するという例は少なくありません。

その中でも同姓の家については、除籍謄本や土地台帳、現地の墓石等々の情報で本家筋に当たりそうな家を特定しておき、その上で情報提供をお願いすることが大事です。

自分で家系調査をしてみようと思われる方も、まずは自分の繋がりを示す簡単な家系図を作成しておき、それを証明する戸籍謄本及び免許証などの身分証明書を用意しておくと良いでしょう。

私の場合は代理の調査ですので、この聞き取り調査を行うに当たっては、「○○さんから家系調査の依頼を受けて」と、依頼された方の氏名を告げ、その方がどのような繋がりがあるかを示すために簡単な家系図をお見せして協力を願うようにしています。

このように有力な調査の一手段である聞き取り調査ですが、「聞き取り調査をする際には自分の名前は伏せて欲しい」と希望されることがあります。以前はそんなことはなかったのですが、、特にこの数年前頃から顕著になってきました。

相手がどんな人かも分からないのに、自分の個人情報は教えたくないという気持ちは分からないでもありません。しかし、相手方の家系という極めてプライベートな情報を教えて欲しいとお願いをするのに、「自分の情報は教えたくない」というのは全く筋が通らない話です。さすがに私も「依頼者の方の名前は明かせませんが・・・」と言って、情報提供をお願いするほど厚かましくはありませんので、”依頼を受けた家系調査”という名目でのアプローチは出来なくなります。

このような場合、違う名目を立てねばならず、そのためには大いに遠回りをすることとなり、かなり無駄な時間と労力を費やしています。なかなか困ったものです。
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2010年06月24日

四国の調査で東京に

四国のある県の調査で、何度も東京に行くはめになっています。

東京のある大学に、ご依頼者の調査に関係する史料があることが分かったためなのですが、結構このようなことはあるのです。

特に、東京の図書館や各大学の図書館・研究機関等に地方の古文書類が所蔵されていることが多く、地元の図書館や資料館等に目的の古文書類がない場合、東京周辺の図書館等の所蔵を確かめてみましょう。

結構、意外な発見があるものです。(旅費が痛いですが・・・)
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2010年01月13日

除籍謄本だけは早目に取っておくべき

昨日の記事にも書いていますが、家系調査の定石は、除籍謄本で幕末までのご先祖の名前や住んでいた地域を特定することから始まります。

ところが、その重要な一歩である除籍謄本について、いざ取り寄せてみたら明治の中期以降に生まれたご先祖が戸主のものまでしか保存されていなかったというケースが昨年くらいから特に目立って増えてきました。

除籍謄本以外の手段で幕末頃のご先祖の名前や住んでいた地域が特定できれば問題ないのですが、そうでなければ江戸時代の調査をするのは非常に困難です。

いつか江戸時代以前のご先祖を調べてみたいと考えている方も、除籍謄本だけはなるべく早目に取っておくことをお勧めします。自分で請求すれば僅か数千円で済みます。

なお、除籍謄本はどうやって取得するんだ?という方はこちら→除籍謄本の請求方法をご参考に。
posted by 仁四郎 at 11:55 | 家系調査の方法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月03日

屯田兵名簿

「全屯田兵名簿」というサイトを見つけました。
その名の通り全ての屯田兵の氏名と出身県・入植年月・入植地が記録された名簿です。
 今頃知ったのかと言われそうですが、こちらです→http://www.asahi-net.or.jp/~xj6t-tkd/tonden/meibo/meibo_all.pdf#search='屯田兵名簿'

私が以前に調査をした方のご先祖のお名前もはっきり確認できました。

まぁ、たいていの人には関係がありませんが、祖先が屯田兵だったかも知れないと伝えられている人は、わざわざ図書館に行かなくても調べることが出来ます。

ご参考まで!
posted by 仁四郎 at 18:07 | 家系調査の方法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月21日

番屋敷・番戸の番地を特定するには

番屋敷や番戸が現在の何番地になるかを特定する方法を教えてくれという質問が多過ぎて困っています。

毎回同じことを話すというのも辛いものなので、ここにまとめておくことにしました。
これから質問があったら、ここを読んでくれと言うことにしよう。

・・・以下、説明・・・

古い除籍謄本では、本籍地を番地で表わさずに番屋敷(または番戸)で表わしているものがあります。この番屋敷(番戸)と番地とは全く違うもので、番地が土地に付けられるものに対し、家屋に付けられた番号が番屋敷(番戸)なのです。そのため、番屋敷(番戸)では現在の場所がどこか分かりません。

では、どのような方法で現在の番地を特定するのか・・・? ですが、残念ながら、簡単に分かるような答えを私は知りません。たぶん、一定の方法などないのではないかと思っています。

ただし、このような場合、私は以下のことを行っています。参考になるようでしたらお試しください。

@市町村の市民課(またはそれに相当する係)の窓口に直接聞いてみる。
これは、まず第一にやっていることです。これまでの経験からすると、比較的小さな市町村だと教えてくれる可能性は高いようです。多少の小芝居が必要ですが・・・。

A市民課の窓口で教えてもらえない場合、次は法務局です。
法務局には、明治20年頃から作成された旧土地台帳というものがあり、番地毎に当時の所有者の情報も書かれています。古い除籍謄本で当時の村の名前は分かっているわけですので、該当地区のものを1番地から地道に調べていきます。そこに書かれている所有者欄に除籍謄本に書かれている同じ時代のご先祖の名前を見つけ、その地目が宅地となっていたら、その番地が当時の番屋敷(番戸)ということになります。

実に、地道な作業です。
旧土地台帳は、200番地程度の分量が一冊にまとめられたもので、係官に倉庫から出してもらわなければなりません。数百番地程度の小さな村であった場合は、それほど時間はかかりませんが、数千番地もの大きな村である場合は膨大な時間が掛かりますし、法務局の方にとっても迷惑なものです。

この場合、その地域の電話帳やゼンリン住宅地図で同姓の家をピックアップし、その周辺の番地から探すことで、1番地から探すという手間が省けます。

B昔から住民の移動があまり無いような地域の場合で、ある程度の地区が絞れていたら、地元のご老人の方々から聞き込みをする方法もあります。このような場合、結構昔の番屋敷(番戸)を憶えている方も少なくありません。

以上の3つを単独または、組み合わせて調べています。
その他、個別に郷土史家の方や教育委員会の方から、番屋敷と番地の対照表(税務署が作ったもの)を頂いたこともありますし、郷土史などで判明したこともあります。

まぁ、家系調査自体では番屋敷(番戸)の特定がそれほど有益とは思っておりませんが、妙にこだわる方がおられます。そのような場合、上記のようなことを参考にされてください。

以上、興味のない方にとっては、何のことか分からない内容でしたね。

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2008年10月29日

養子元の直系の除籍謄本は取れるか?・・・その2

前回の記事「養子元の直系の除籍謄本は取れるか?」の続きです。
前述したとおり、傍系になる親族の除籍謄本は取得できないのですが、除籍謄本が取れなくても、それ以外の方法で大まかなことが分かることがあります。

そのひとつが旧土地台帳を調べることです。
旧土地台帳とは、土地に税金をかける等、土地の状況を明らかにする為に作られた地籍簿であり、土地の面積や地目の他に、作成された明治20年頃からの所有者の変遷も記録されています。明治20年頃の所有者ということは、その当時に当主だったわけですから、一般的に幕末に生まれた方ということになります。

その後、その土地を手放していない限り、子→孫→曾孫と名前が出てきたりしますので、その家の直系の流れが把握できるというわけです。ただし、除籍謄本とは異なり、当主以外の情報は分かりません。

この旧土地台帳を閲覧するには、除籍謄本中の養子元の本籍地の地番に該当する旧土地台帳を管理している法務局で閲覧申請をします。閲覧も複写も無料ですし、閲覧の理由も問われません(最近は、一部の法務局で閲覧理由を聞かれることがありますが)

さらに詳細な情報を知りたいという場合は、過去帳を見せて頂ければ一番よいのでしょうが、直系のご先祖であっても断られることも多いくらいですので、傍系ならまず無理でしょう。

面倒ではありますが、最も古い地番の場所に直接行って、その周辺の寺や墓地で該当する墓を探すということもあるかと思います。同姓の墓が複数あったとしても、土地台帳で確認された名前が彫られている墓を探せばよいわけで、そこに墓誌があれば、当主以外の方も確認できます。

まぁ、プライバシーの問題もありますので、傍系親族の調査は私自身はやらないのですが。

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2008年10月25日

養子元の直系の除籍謄本は取れるか?・・・その1

私のホームページをご覧になった方から、電話で質問がありました。

「養子元の直系の除籍謄本が取れますか?」ということです。

除籍謄本が保存されているところまで請求して、幕末に生まれたご先祖が戸主の謄本まで取得できたが、この人は他家から養子に来ていることが分かった。
この養子元の家が今どのようになっているかを知りたいのですが、そこの除籍謄本を請求出来ますか?というものです。

結論からいうと、出来ません!

養子に出たということは、次男以下でしょうし、養子元の家を継いだのは長男、つまり養子に行った方(質問者のご先祖)の兄に当たることになります。その兄の直系卑属の流れは、質問者さんからすると傍系の親族になります。

傍系の除籍謄本の取得は「相続問題」などの理由に限定されますので、家系調査を目的とする傍系親族の除籍謄本の請求は許されないとされているのです。

除籍謄本が取れなくても、それ以外の方法で大まかなことが分かることがあるのですが、それはまた次回に書きます。
posted by 仁四郎 at 11:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 家系調査の方法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする