2016年10月03日

数百年前の埃

終日、大学の研究室で江戸期の古文書の調査を行いました。

古文書を調べた方ならお分かりでしょうが、古文書を捲った時には結構な埃(ほこり)が舞い上がります。

特に今日は、マスクを忘れてしまった上に、長い間誰からも見られていなかった大量の古文書を一日中見ていたため、口や鼻にいっぱいの埃が吸い込んでしまったようで、喉がいがらっぽくて仕方がありません。

古文書調査にはマスクが必須です。
posted by 仁四郎 at 19:45 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月28日

宝当神社(佐賀県唐津市)

佐賀県での基本調査。

唐津市近代図書館で手当たり次第に文献を漁っていたところ、地域の旧家の系図集のような古い冊子があり、その中にご依頼人のご本家の系図を発見! 初代のご先祖が戦国期に安芸毛利家を出奔し、肥前の山奥に住みついたことが家の始まりであることが書かれていました。

200年間の調査が目標のところ、400年以上も遡ることが出来ました。
後は、この系図を精査するだけです。

予定以上に早く終了しましたので、「宝当神社」で有名な高島に渡ってみました。

唐津城下に定期船(ニューたかしま)の乗り場があります。料金は210円、乗船時間は約10分です。ただ、定期船は時間の間隔があり、帰りは水上タクシーを利用しました。こちらの料金は片道500円也。
DSCF6266.JPG

寒いのにもかかわらず、宝当神社には結構参拝者が多いのに驚きました。なんとか人が途切れた瞬間を狙って鳥居と拝殿を撮影。
DSCF6265.JPG


DSCF6257.JPG


DSCF6256.JPG

この神社は、宝くじが当たる神様ということで有名ですが、私は宝くじは買わないので、普通にお参りをして、島の奥を散策。
DSCF6263.JPG

島の北側は山で南部の海沿いの狭い地区に人家が集まっています。写真のとおり、車一台通れない狭さです。

通路を歩きつつ各家の表札を見ていたら、どの家も「野崎」と書かれています。
後で調べてみたら、島の住民98軒中、なんと94軒が野崎姓!(電話帳調べ)
島民のほとんどが野崎さんです。

この野崎さんの祖が野崎隠岐守綱吉という人物。
綱吉は、天文23年(1554)信州諏訪生まれ。成人して九州に渡り、豊後の大友氏に仕え、後に肥前の草野氏の家臣となったとあります。

草野氏の家臣時代の元亀4年(1573)、龍造寺隆信率いる5,400の軍勢から草野氏の居城草野城が攻められた時、綱吉らの奮戦で撃退。

しかし、組織として良くあることながら、新参者である綱吉の活躍が気に入らない草野家の老臣たちの妬みを受け、居辛くなった彼は草野家を出奔し、高島へ移り住んだということです。

島の奥には、神社がもう一社。綱吉が建立したとされる「塩屋神社」です。

恒例の狛犬撮影。
シンプルな造形ですが、力強さを感じさせます。
DSCF6259.JPGDSCF6260.JPG
posted by 仁四郎 at 17:34 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月27日

手紙の成果

宗派も分からないという旧菩提寺探しのため、明治初期の本籍地周辺の14軒の寺院に対し、1月7日に一斉に照会の手紙を出していましたが、今日までに1軒を除く13軒から返信を頂きました。

この内、4番目に届いた寺院の返信に、「過去帳にご先祖の記録があった」旨の記述がありました。

宗派も分からないし、周囲にはご本家どころか同姓の家さえないという状況でしたので、菩提寺探しは難航しそうだなと覚悟していましたが、あっさり判明。良い意味で拍子抜けしてしまいました。

早速、お礼を兼ねて詳細を伺いに参りたいと思います。

ただ、問題点がひとつ。
14軒中1軒の返信が頂けていないことです。

現実的には難しいとは思いますが、やはり100%の返信率を目指さなければなりません。
posted by 仁四郎 at 17:17 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月26日

火災の記録から居住地を特定

明治初期以前、どこに居住していたかご依頼人も分からない案件。

最も古い戸籍は転籍後のものだけで、それには転籍前の本籍地の記述がありません。
ただ、明治初期に広島県の東部地域周辺から関西に移ったのではないかという言い伝えがあるだけでした。これでは、どこから手を付けてよいかも分かりません。

唯一の手掛かりは、ご依頼人家に伝わる古い文書があり、それに「宝暦八年極月廿七日、隣家から発生した火災で家に伝わる古文書が焼失した。」と書かれていることでした。極月とは12月のことです。

消防活動といっても、延焼を防ぐために建物を取り壊すだけという時代、火災は今以上に大きな事件です。このため、郷土史には火災の記録が残されていることが多いもので、とにかく広島県の全ての市町村の郷土史から「宝暦8年12月27日」に起こった火災記録を調べてみました。

県内全ての郷土史を調べるのに大変な時間が掛かってしまいましたが、この努力が実って、広島県東部の某市の郷土史に同年月日に起こった火災の記録を発見! その他の郷土史に同年月日の火災の記録がないことから、この火災で間違いありません。

この火災により128軒が焼失したとのことで、出火元も書かれていました。
これにより、ピンポイントで居住地を特定することが出来ました。

広島県の東部地域周辺という漠然としたものでしたので、実に大きな前進です。
posted by 仁四郎 at 16:37 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月20日

中津市「栗山堂」

中津市京町にある和菓子「栗山堂」さんです。

DSCF7221.JPG

こちらのご先祖は、黒田官兵衛が最も信頼した家臣のひとり、栗山備後利安とのこと。
通称善助。黒田家筆頭家老で、黒田二十四騎、黒田八虎のひとりですね。

DSCF7219.JPG

店頭に飾られた「栗山利安」の肖像画

黒田家は、関ヶ原の戦い後、豊前中津から筑前福岡52万石に移封され、当然栗山利安も福岡へ移りますが、この時「栗山の姓を絶やさぬように」とのことで、一族のひとりが中津に残ったとか。

当初は、城下に残って刀鍛冶を生業としていたが、博多の寺院で外郎(ういろう)の製法に出会い、それを副業にしていたとのこと、徐々にそれが本業となって現在まで至っておられるそうです。

DSCF7222.JPG

私にとっては、子供の頃からの懐かしい味です。 


私の先祖も同じ中津城下で鍛冶屋をやっていましたので、江戸期にはこちらのご先祖と会話を交わしたことがあるかも知れません。

さて、ここ中津市でひとつの長い調査が終わりました。

筑後地方から始まった調査ですが、ご先祖の事蹟を追って、調査の舞台が飯塚市→福岡市→豊前地方と続き、この大分県宇佐市から中津市で終了です。なんと4年弱という長期に亘ります。ほっと一息ついた感じです。

今はせっせと報告書作成中ですが、過去最多のページ数になりそうです。
posted by 仁四郎 at 11:27 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月16日

豊前宇都宮氏

このところ連日豊前(福岡県)方面の調査に出かけていますが、街道沿いのあちらこちらに見かけるのが下の幟。
DSCF4589.JPG

「軍師黒田官兵衛最大の宿敵 城井宇都宮鎮房」

と書かれているものです。

昨年、NHK大河ドラマで『軍師官兵衛』が放送されるようになったことで作成されたものですが、今も続けて立てられています。

これが福岡県側から大分県中津市に行くにつれて、“城井宇都宮鎮房”の幟に“黒田官兵衛”の幟が並んで立てられるようになり、山国川を越えて中津市に入ると、“黒田官兵衛”の幟だけに変わっていきます。

これまであまり知る人が少なかった豊前宇都宮氏ですが、宇都宮氏の菩提寺「天徳寺」にも見学者が以前よりも多く見受けられるようになってきました。
DSCF4591.JPG

武力では討つことが出来ず、結局は謀殺を選んだ黒田家のお蔭で、以前より知られることになったとは、皮肉なものです。
posted by 仁四郎 at 09:24 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月07日

筑前内野宿と俳諧の世界

小倉北区の常盤橋を始点とする長崎街道で、黒崎宿→木屋瀬宿―飯塚宿に続く4番目の宿場町が内野宿です。
DSCF7157.JPG

長崎街道の旧宿場町はたいてい訪問しているのですが、ここは我が家から車で1時間半ほどの距離なので、いつでも行けるという安心感からか、これまで来たことがありませんでした。今回この地が調査対象となったことで、初めて訪問しました。

市町村合併で、現在は飯塚市となっていますが、山間部の小さな集落です。
国道200号線がすぐ南を走っているため、旧街道はそのままの形で残されています。
DSCF7163.JPG

ここ内野宿は元禄から宝永・享保の時代にかけて、俳諧の文化が花開いた町でした。

著名な人物として、宝永2年(1705)に代表作『山彦』などを出版した荒巻助然(じょぜん)があり、その父荒巻西竹・従弟の荒巻苔路(たいろ)など、この一族を中心に内野の俳諧が広がっていきます。

代表的存在である助然の自宅“助然亭”は、各地の行脚俳人たちが訪れる俳諧の中心地だったようです。

内野宿は、長崎街道の宿場町であるとともに、秋月街道の拠点でもあり、大いに栄えていましたが、それにしてもこのような山間部の集落に俳諧の文化が花開くというのは、司馬遼太郎氏もどこかで話されていましたが、封建社会ならではというものでしょう。

DSCF7162.JPG

東構口から西構口まで約600m。当時の旅籠など、今では空き地になっているところも多く、歩くのに時間が掛かりません。

DSCF7168.JPG
この建物は「長崎屋」。江戸に向かうシーボルトが休憩したとか。
甘党に厳禁の「ぜんざい」の看板に釣られて、調査中にも拘らず、ついつい入ってしまいました。
posted by 仁四郎 at 23:41 | Comment(3) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月24日

予期しない古文書

熊本県天草の調査のために、大分県日田市に古文書探しに来ました。
というのも、江戸期の天草は一時期を除いて天領であり、その行政は天領日田に置かれた西国郡代が行っていたからで、その関係から天草関係の史料が所蔵されていないだろうかと考えたためです。

残念ながら期待外れな結果となってしまいましたが、意外な儲けものがありました。

それは、別件で調べている福岡県南部のある地域に関するもので、調査中の家のご先祖が書かれたのではないかと思われる古文書の発見です。なかなか有益な史料に出会えずに、長い期間にわたって苦労している案件なのですが、今回見つけた史料は決定的とも思える内容です! 別件の調査のために訪問し、全く予期せずに遭遇した幸運に飛び上がる思いでした。

その地域は、久留米藩領の中で飛び地のように天領になっているところだっただけに、日田に史料が残ったものと思われます。

長い間お待たせしている調査ですので、ご本人にも早くお伝えしたいところではありますが、その案件の調査のために来た訳ではないので、その家に関する調査資料一式を持参していません。このため、帰宅後に内容を精査し、調査中のご先祖に関する史料だと確信出来るまで迂闊にお知らせすることが出来ません。

早く帰宅して確認したいところですが、引き続き佐賀・長崎と宿泊を重ねる予定で出て来ていますので、その後となってしまいます。

併行して各地の調査をしていると、稀にこのように予想外のところで有益な史料に出会うことがあります。

家系調査も結構偶然が支配しているものです。
posted by 仁四郎 at 22:22 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月22日

五猿の像(尾道市大山寺)

尾道市の大山寺の境内で見つけた五猿(ご縁)の像

長い石段を登って、ようやく辿り着いた境内でこのような像が迎えてくれました。
興味深いものでしたので、当ブログに掲げてみました。

DSCF7082.JPG

みてご猿
      
いうてご猿
 
きいてご猿

まえむき猿

でご猿
posted by 仁四郎 at 16:40 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月20日

尾道市にて

尾道市の調査に来ています。

今回の調査は、これまでに経験がないほど何のヒントもない調査で、ご先祖が実際に尾道に住んでおられたのかどうかさえ分からないというものです。
本来なら、お受けすべき案件とは思えないものでしたが、ご依頼人の調査に対する熱意を感じ、大変な調査になることを覚悟してお受けしたものです。

本日は、終日尾道市内の墓地調査で、全部で19の寺院の墓地を調査して回りました。

尾道といえば、坂と石段の街で有名なところ。
この↓ような石段をひたすら昇り降りを繰り返し、ホテルに戻った時点で、歩数計の数字が21,647歩!
DSCF7061.JPG

普段、せいぜい3,000歩程度しか歩かない私にとって、この数値は驚異的です。
しかも、急な石段の連続ですので、歩数計に示された数値以上に疲労感があり、膝がガクガクです。

ところで、尾道の寺院内にある墓地の多くは、江戸期の古いもので、「屋号」が彫られた墓碑が大変目立ちます。また、これらの墓碑が実に立派なものばかり。
北前船の寄港地でもあった当時の尾道商人の繁栄振りが偲ばれるものでした。

明日は、お隣の三原市に舞台を移し、同様に墓地調査を続ける予定で、爆弾を抱えた右膝は湿布だらけになっています。

ちなみに、本日の宿泊は、尾道市のビューホテルセイザン。
ここを選んだ理由は、とにかくホテル全体が”タイ”というところです。

ホテル玄関には、タイの三輪タクシー”トゥクトゥク”が置かれており、ロビーもタイっぽい雰囲気。
レストランの夕食はタイ料理のコースで、流れる音楽も室内も”タイ”なのです。
DSCF7101.JPG

私は大のタイ好きで、学生時代に訪れて以来、これまで数十回は訪問していますし、将来は移住したいと考えているほどですので、出張中にこのような雰囲気に浸れるというのは、実に有り難いことであります。

尾道の石段にすっかり弱ってしまいましたが、これで明日また頑張れそうです。
posted by 仁四郎 at 21:29 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月13日

高知城の夜景

江戸初期までの調査のために、高知県に来ています。

ここの県立図書館は、高知城の中に建てられています。
19時の閉館まで粘って古文書の調査をした後、外に出て天守閣を見上げると、照明の光を浴びて夜空に美しく浮かび上がっていました。

あまり綺麗だったため、望遠で写してみました。
ホテルに戻って見てみると、かなりのピンボケでしたが、少しは美しさが伝わっているでしょうか。

DSCF7014.JPG
posted by 仁四郎 at 21:13 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月22日

マイクロフィルムと格闘

地元福岡県の調査。

有難いことに明治初期から江戸期に書かれた古文書が非常に多い地域なのですが、その大半がマイクロフィルムに収められた形で閲覧に供されているため、大いに苦しめられています。

というのも、私はメニエル氏病持ちで、マイクロフィルムが天敵のような存在なのです。

古文書の原本やその複写といった“紙資料”で見る場合であれば、素早くページを捲りながら調査に有益な部分を見つけ出していけば済むのですが、マイクロフィルムの場合はそうは参りません。

目次などありませんし、どのような資料がどの部分で登場するのかが分かりませんので、1画面毎にチェックしなければならないのですが、1リールにかなりの分量が収められているため、画面を流しつつ見ていくことになります。

この流れていく画面に映る古文書の文字を素早く読み進めるという作業が、メニエルの症状である目まいや吐き気を誘発させるもので、1時間も続けていると、もうフラフラ。そこを何とか騙し騙し続けて、2時間弱ほどで1リールを見終えることが出来ます。

直後は目まいですぐには歩けず、吐き気を我慢しながらしばらくイスに座ってから帰ることの繰り返しです。

ご依頼人の方には、かなりお待たせしているので、結構焦ってはいるのですが、1回に1リールが限界です。

しかし、これほどマイクロフィルムが多いところも珍しい。
posted by 仁四郎 at 17:52 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

僅か16年間の藩

DSCF5984.JPG


福岡県小郡市での調査中、上記画像のような石碑を見付けました。
この松崎城とは、小郡市の松崎地区を中心とした地域に存在した松崎藩一万石の小藩の居城であり、寛文8年(1668)に成立し、僅か16年後の貞享元年(1684)に改易となった幻のような藩です。

藩祖は、有馬伊予守豊範。但馬国出石藩の三代藩主小出吉重の三男で、久留米藩有馬家の二代藩主有馬忠頼の養子となった人物です。

当初、忠頼には男子がなかったため、出石藩小出家に嫁いだ妹の子である豊頼を養子とし、将来の世継として将軍にも拝謁させていました。

ところが、豊頼にとっては不幸なことに、その後に忠頼に男子が生まれたため、世継としての立場を失うこととなりましたが、既に将軍家への御目見えも終えた者を放置出来ないとして、一万石を分地して成立した藩でした。

残念なことに、貞享元年に起こった姉婿の窪田藩主(福島県)土方家のお家騒動に巻き込まれて、松崎藩有馬家も突如として改易。僅か16年の短い歴史を閉じることになり、藩士達も帰農するなど四散しているようです。

この後、旧領は幕府の直轄地となり、代官の服部六左衛門が赴任。せっかく築かれた松崎城は、悉く破却されてしまいました。
現在、その本丸跡には県立三井高校が建てられており、城跡が偲ばれるものは残っておりません。唯一、『松ア城跡』の石碑が僅かにその歴史を物語るものかと思います。

私自身、江戸時代の松崎といえば、薩摩街道の宿場町『松崎宿』という知識しかなく、恥ずかしながら、17世紀後半の短い時期に松崎藩があったということを最近まで知りませんでした。

実は、この地域を対象とした徹底調査で悪戦苦闘を続けているところですが、諸々の条件を考え併せると、この松崎藩士だった可能性も考えられのではないかという思いに至っています。

このため、松崎藩士の名簿のようなものがあるのか? あるとすれば、どこに所蔵されているのか? 等々を諸所調べて廻っているところです。

DSCF5983.JPG
posted by 仁四郎 at 23:18 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月06日

墓地調査と天敵

熊本県中部の200年間を辿る「基本調査」の1回目の現地調査。

長年の経験からか、ご先祖が住んでいた場所と周囲の地形から直感で墓地が特定出来るものなのですが、今回の場合はなかなかご依頼人の本家の墓地が見つかりません。

このため、少しずつ調査範囲を広げていったところ、まさか!という森の中で見つけることが出来ました。

途中、道に横たわる天敵のヘビにビクつきながら森の中を進んでいると、突然大きな空間が広がり、20基ほどの墓碑が建つ墓地が現れました。大急ぎで各墓碑の名前に目を走らせると、ご依頼人と同姓の墓碑が2基。素早く、墓誌の内容を確認したところ、除籍謄本に記載されている方の名前がありました。

まさしく、私が探していた墓碑です。10時からスタートして、15時半。いつもそうですが、この瞬間というのは実に嬉しいものです。

さらに嬉しいことに、墓誌の最初の方は、没年と行年から計算すると宝暦2年(1752)の出生。基本調査が目標とする200年間の調査に十分な情報でした。まさかこんなところには墓地は無いだろうと思いつつ、行く手を阻むヘビに石を投げながら森深く入って行った甲斐があったというものです。

ところで、今日だけでヘビが2匹。
爬虫類に追われていた古代の哺乳類の記憶が人一倍強いのか、実に情けないことに、こいつが前に横たわっていると足が出ません。

特に、二匹目のやつは突然木の上から足元に落ちてきて、魂が消し飛びました。

毎年のことですが、これから墓地調査に嫌な季節が始まります。
posted by 仁四郎 at 20:53 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

忘れ雪

大分県久住地方での調査。
標高1000m近い地域のためか、外は氷点下1℃。4月だというのに雪が降っています。
DSCF5395.JPG

春先の服装で来たため、寒くて仕方がありません。

ただ、調査自体は大きな成果があり、ご依頼人と同姓の旧大庄屋家を訪問させて頂いたところ、南北朝時代からの系図があり、その系図中に江戸初期頃にご依頼人のご先祖が分家したという記述を見つけました。
早速、撮影させて頂きましたが、当系図により、一気に14世紀後期までの流れを把握することが出来ました。

元々は東海地方の有力豪族で、南北朝時代に九州をほぼ制圧した懐良親王、菊池武光の勢力を駆逐するために幕府から派遣された遠江の今川貞世に従い、後に豊後に土着したという記述がありました。この辺りの歴史は結構興味があって、それなりに研究していますので、帰宅したらノートを読み直さなければと思います。

それ以前についても、おそらく「尊卑分脈」により平安期にまで辿ることは出来るでしょう。

予想外の展開で、寒さも吹き飛んでしまいました!

今夜の宿は、筋湯温泉内のホテル。
多少高くても全室に露天風呂が付いているところを選んだのですが、あまりの寒さにゆっくり入る気にもなれません。
DSCF5477.JPG
(部屋に付いている露天風呂。一人で入るには勿体ない広さです。)

posted by 仁四郎 at 22:52 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月06日

系図祭り

大分県では、“系図祭り”という行事を行う地域が随所にあります。
年に一回、一族が集まって、系図を中心に親睦を深めるというものです。

今回調査を行ったご依頼人のご先祖様が明治中頃まで住んでいた地域も、系図祭りを行っているところでした。
何度かの交渉の末、氏神とされている神社に奉納している一族の系図を見せて頂くことが出来ました。

神殿から出して頂いた木箱に入った系図は、なんと鎌倉末期の武将を初代とするもので、日本史の教科書にも出てくるような人物でした。

ご依頼頂いた調査は、1800年を目標とする基本調査だったのですが、結果的には徹底調査に匹敵するご報告が出来そうです。

大分県での調査では、このように系図祭りを行っている一族にしばしば巡り合うことがあります。

これまで見せて頂いたことがある系図は、一族の方が毎年順番に持回るというところが多かったのですが、今回は神社の神殿に奉納しているというものでした。

確か、別府大学の方の論文に、大分県の系図祭りでは、系図自体を一族のご神体としているという趣旨のことが書かれていましたが、普段は神殿に納めているところを目の当たりにし、確かにその論文のとおりであることを確認致しました。
posted by 仁四郎 at 22:57 | Comment(0) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

福井にて

三重県での現地調査。
ご先祖が住んでいた時代の菩提寺が分かり、早速訪問してみました。

約束もなしに、突然訪問させて頂いたもので、当然最初は玄関先での立ち話でしたが、何とか必死に食い下がった結果、座敷に上げて頂き、ご住職と一緒に過去帳を閲覧することとなりました。

約束なしの突然の訪問で、その日の内に過去帳の閲覧まで辿り着けるケースはあまりなく、実に有難いことでした。厚かましいことですが、三重県内でもかなり交通の不便なところでしたので、一回の訪問で済みそうで大いに助かりました。

今日で調査出張5日目。
三重県から福井県に直行し、今夜は福井市内に宿泊し、明日から福井での調査です。
だんだん疲れが溜まってきました。
posted by 仁四郎 at 20:47 | Comment(1) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月17日

撮影もだめ、筆写もだめ

ある大学で宗門改帳の閲覧をしました。
ところが、その宗門改帳を撮影することも、内容を書き写すことも許可出来ないということになり、閲覧して必要箇所を暗記するしかないということになりました。

この大学の担当者とは、事前に電話とメールで打ち合わせを行い、閲覧希望リストを提出し、全ての閲覧許可を頂いてから訪問しました。

しかし、現地に着いてから、担当者氏が「実は、宗門改帳の閲覧は禁止されていて、私が間違ってつい許可を出してしまった。」と言うのです。

我が家からその大学まで車で約7時間半ほども掛る遠方なので、前日から宿泊しており、今更閲覧出来ないというのは、とんでもない話です。

その点について、その担当者氏も責任を感じておられ、とにかく”閲覧だけ”許可するということになりましたが、タイトル通り撮影も書き写すことも出来ないということになりました。無断で撮影やメモをされないように、担当者氏の立ち会いの下、「見るだけ」ということです。

これまで撮影は出来ないと言われたことはありますが、メモさえ出来ないというのは初めてのことです。同じ内容のものが出回ることがないようにとのことですが、非常に神経質になっているようです。
調査としては、大きな成果を得られましたが、実に厳しい対応で閉口しました。

この大学には、かなり多くの宗門改帳や五人組帳が所蔵されているのですが、以後は一切の閲覧が禁止されるとのことで、私が最後の閲覧者となりました。

個人情報保護というものが徐々に江戸時代の古文書にまで及んできており、少なくとも家系調査に関してはやり難い時代となってきているように思います。
posted by 仁四郎 at 22:08 | Comment(2) | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月25日

ようやく帰宅

島根→岡山→徳島→高知と続けた調査出張からようやく帰宅しました。走行距離、1659km。
その前の甑島の4日間も入れると、今月は半分近くを出張に宛てていることになり、さすがに疲れました。

ただ、かなり無理をしたお陰で、先月の寝込んでしまった2週間のブランクをかなり取り戻した感じです。

少しだけ休んで、当面は地元の案件の調査に専念したいと思っています。
posted by 仁四郎 at 22:23 | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月24日

大歩危・小歩危

徳島の2日目は、大歩危・小歩危周辺の寺院や個人宅への訪問で、まさしく秘境の地です。調査をしながら、大歩危・小歩危観光ができるというオマケ付き。
途中、カーナビも正確さを失い、山道をいったん間違えば、崖ぎりぎりの道を何度も切り返しながらUターンするという緊張感溢れるもので、これまで調査に行ったところで、最高の秘境のような気がします。

一番の収穫は、明治の頃に徳島から高知県に移住したとだけ伝えられている本家が探せたこと。
単に、高知県に移ったというだけの話だったのですが、最初に訪れた町の最初の訪問先がその本家の流れの家だったという奇跡のような偶然さで見つけることができ、実に感動しました。

s_DSCF2591.JPG

この山の上に本家がありました。


s_DSCF2589.JPG

旧菩提寺から見下ろす景色


s_DSCF2593.JPG

大歩危の景観
posted by 仁四郎 at 09:10 | 家系調査日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする