2017年03月14日

由利島

愛媛の話が続きます。

弊社のある福岡から愛媛県は、直線距離はたいして離れていないのですが、間に海があるだけに、効率が悪くて困ります。

いろいろな手段を試した結果、現在は車で山口県の柳井港まで行き、そこから防予汽船のフェリーに乗って松山市の三津浜港に上陸するというルートを取っています。事務所出発から三津浜港上陸までなんと約5時間半。時間的には、新幹線で東京に行くより遠いことになります。

前回のブログにも書いたとおり、5年ほど前から愛媛県内の調査が絶えることなく続いていますので、このような移動を定期的に行っています。

ところで、柳井港から三津浜港に向かう途中に右手に見えるのが由利島。
DSCF8855.JPG

この由利島、今ではTOKIOの「DASH島」として有名になってしまいましたが、昭和59年に椎名誠率いる“あやしい探検隊”がこの島でキャンプをしていて、その時の様子を『あやしい探検隊不思議島へ行く』に書いています。

その中で、以下のような興味深い記述がありました。
「ヤブの中にはけっこう沢山の家が並んでいて、伸び放題の生け垣をいくつか曲がっていくと・・・」

由利島が無人島になるのは、昭和40年のこと。
椎名誠氏はその19年後に訪れたことになりますが、その時点ではまだ“沢山の家”が並んでいたということです。

そもそもこの由利島が栄えたのは、平安〜鎌倉期のことです。
瀬戸内海の海上交通の要地として、その賑わいは“由利千軒”と呼ばれるほどだったとか。

大由利(大きい方の島)の西側の山の中腹には儀光寺という寺院もあったとかで、その儀光寺は今は松山市古三津一丁目に存在しています。

寺伝によると、「弘安年間(1278~1287)に起こった地震による津波のため島が壊滅状態となり、島民とともに当地(=古三津)に移った。」とあります。

調べたところ、弘安年間にこの地域周辺で起こった地震が特定出来ませんでしたが、とにかく鎌倉時代後期に起こった地震による津波によって、由利千軒と称された由利島の繁栄も終わりを告げたということなのでしょう。

posted by 仁四郎 at 15:17 | Comment(0) | 歴史一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする