ある大学で宗門改帳の閲覧をしました。
ところが、その宗門改帳を撮影することも、内容を書き写すことも許可出来ないということになり、閲覧して必要箇所を暗記するしかないということになりました。
この大学の担当者とは、事前に電話とメールで打ち合わせを行い、閲覧希望リストを提出し、全ての閲覧許可を頂いてから訪問しました。
しかし、現地に着いてから、担当者氏が「実は、宗門改帳の閲覧は禁止されていて、私が間違ってつい許可を出してしまった。」と言うのです。
我が家からその大学まで車で約7時間半ほども掛る遠方なので、前日から宿泊しており、今更閲覧出来ないというのは、とんでもない話です。
その点について、その担当者氏も責任を感じておられ、とにかく”閲覧だけ”許可するということになりましたが、タイトル通り撮影も書き写すことも出来ないということになりました。無断で撮影やメモをされないように、担当者氏の立ち会いの下、「見るだけ」ということです。
これまで撮影は出来ないと言われたことはありますが、メモさえ出来ないというのは初めてのことです。同じ内容のものが出回ることがないようにとのことですが、非常に神経質になっているようです。
調査としては、大きな成果を得られましたが、実に厳しい対応で閉口しました。
この大学には、かなり多くの宗門改帳や五人組帳が所蔵されているのですが、以後は一切の閲覧が禁止されるとのことで、私が最後の閲覧者となりました。
個人情報保護というものが徐々に江戸時代の古文書にまで及んできており、少なくとも家系調査に関してはやり難い時代となってきているように思います。
2012年05月17日
2012年03月25日
2012年03月24日
大歩危・小歩危
徳島の2日目は、大歩危・小歩危周辺の寺院や個人宅への訪問で、まさしく秘境の地です。調査をしながら、大歩危・小歩危観光ができるというオマケ付き。
途中、カーナビも正確さを失い、山道をいったん間違えば、崖ぎりぎりの道を何度も切り返しながらUターンするという緊張感溢れるもので、これまで調査に行ったところで、最高の秘境のような気がします。
一番の収穫は、明治の頃に徳島から高知県に移住したとだけ伝えられている本家が探せたこと。
単に、高知県に移ったというだけの話だったのですが、最初に訪れた町の最初の訪問先がその本家の流れの家だったという奇跡のような偶然さで見つけることができ、実に感動しました。



途中、カーナビも正確さを失い、山道をいったん間違えば、崖ぎりぎりの道を何度も切り返しながらUターンするという緊張感溢れるもので、これまで調査に行ったところで、最高の秘境のような気がします。
一番の収穫は、明治の頃に徳島から高知県に移住したとだけ伝えられている本家が探せたこと。
単に、高知県に移ったというだけの話だったのですが、最初に訪れた町の最初の訪問先がその本家の流れの家だったという奇跡のような偶然さで見つけることができ、実に感動しました。
この山の上に本家がありました。
旧菩提寺から見下ろす景色
大歩危の景観
2012年03月22日
白地城址のホテルにて
倉敷で夕方近くまで古文書の調査を行いましたが、やはり古文書に触れている時が最も安心感があります。墓地調査や聞き取り調査よりはるかに地味ですが、結構楽しいものです。ここでは、いくつかの古文書でご先祖のお名前をみつけました。苗字はありませんが、それぞれに捺されていた印鑑の印影が同一のものでしたので、同じ家の方であることは明らかで、当時の居住地や屋号なども判明。この案件は、これでほぼ終了です。
古文書調査の後、そのまま瀬戸大橋を渡って徳島県の山奥にまで来ております。さらに別件の調査です。昨日まで島根の山奥をうろうろしておりましたが、そこに勝るとも劣らないくらい山また山で、最近はとにかく山ばかり見ているような気がします。
ところで、今夜の宿泊先は旧白地城の址に建つホテルです。
1泊2食でシティホテル並みの料金でしたので、大丈夫かなと心配していましたが、敷地内をうろついていると↓の看板を見つけました。

もともと現地に一番近いというだけで選んだホテルでしたが、この看板で初めて白地城址であることを知りました。白地城といえば言わずと知れた長曽我部元親が四国征服の野望を燃やした地。讃岐にも阿波にも伊予にも進出可能な四国のへそとも云える当地を手に入れた時、『先づはこの大西さへ手に入り候へば阿讃伊予三ケ国の辻にて何方へ取り出づべくも自由なりと満足し給ひけり』と言ったと元親記にあります。
そして、秀吉の四国侵攻の際の防御の拠点となったのもこの白地城です。
その元親の夢と挫折の地で、今夜は眠れます!
ホテル側は当然意図していませんが、私にとっては最高のサービスです。
古文書調査の後、そのまま瀬戸大橋を渡って徳島県の山奥にまで来ております。さらに別件の調査です。昨日まで島根の山奥をうろうろしておりましたが、そこに勝るとも劣らないくらい山また山で、最近はとにかく山ばかり見ているような気がします。
ところで、今夜の宿泊先は旧白地城の址に建つホテルです。
1泊2食でシティホテル並みの料金でしたので、大丈夫かなと心配していましたが、敷地内をうろついていると↓の看板を見つけました。
もともと現地に一番近いというだけで選んだホテルでしたが、この看板で初めて白地城址であることを知りました。白地城といえば言わずと知れた長曽我部元親が四国征服の野望を燃やした地。讃岐にも阿波にも伊予にも進出可能な四国のへそとも云える当地を手に入れた時、『先づはこの大西さへ手に入り候へば阿讃伊予三ケ国の辻にて何方へ取り出づべくも自由なりと満足し給ひけり』と言ったと元親記にあります。
そして、秀吉の四国侵攻の際の防御の拠点となったのもこの白地城です。
その元親の夢と挫折の地で、今夜は眠れます!
ホテル側は当然意図していませんが、私にとっては最高のサービスです。
2012年03月21日
苗字より屋号の方が通じる地域
島根県の現地調査4日目。
既に絶えてしまった同姓の家の墓が森の中に建っているのをたまたま発見しました。
なんと、その墓碑には戦国時代の祖先の由緒書のようなものが彫られていたのですが、戦国時代はある城の城主であり、当時は苗字も違っていたことが判明しました。かなり薄気味悪い場所でしたが、十分な成果です。
現地調査4日目にして結構な手応えを得ることができました。
探していた宗門改帳の所在は、今日の段階では不明なままなのですが、これについては教育委員会や郷土史家の方にお願いし、ここで一端は調査を終了。資料と頭の中の整理をすべき段階に入ったかと思います。
ところで、島根県の調査は今回が4回目なのですが、どの地域でも今でも屋号が生きていました。屋号というのは、別に商家だけでなく、農家でも持っているものです。
特に、今回の地域では苗字より屋号で話した方が通じやすく、たいていの墓石にも屋号が彫られていました。
苗字で○○さんの家のことで・・・と言うより、今福屋とか口羽屋さんのことで、と言った方がどなたでもすぐに分かってくれます。若い方はどうかは知りませんが、残ってもらいたい文化だと思います。
さて、今夜は倉敷市泊りです。
明日は、別の案件で倉敷での古文書調査の約束を取り付けています。
倉敷の案件は、これが2回目の現地調査ですので、なんとかこれで決着を付けたいと思っています。
既に絶えてしまった同姓の家の墓が森の中に建っているのをたまたま発見しました。
なんと、その墓碑には戦国時代の祖先の由緒書のようなものが彫られていたのですが、戦国時代はある城の城主であり、当時は苗字も違っていたことが判明しました。かなり薄気味悪い場所でしたが、十分な成果です。
現地調査4日目にして結構な手応えを得ることができました。
探していた宗門改帳の所在は、今日の段階では不明なままなのですが、これについては教育委員会や郷土史家の方にお願いし、ここで一端は調査を終了。資料と頭の中の整理をすべき段階に入ったかと思います。
ところで、島根県の調査は今回が4回目なのですが、どの地域でも今でも屋号が生きていました。屋号というのは、別に商家だけでなく、農家でも持っているものです。
特に、今回の地域では苗字より屋号で話した方が通じやすく、たいていの墓石にも屋号が彫られていました。
苗字で○○さんの家のことで・・・と言うより、今福屋とか口羽屋さんのことで、と言った方がどなたでもすぐに分かってくれます。若い方はどうかは知りませんが、残ってもらいたい文化だと思います。
さて、今夜は倉敷市泊りです。
明日は、別の案件で倉敷での古文書調査の約束を取り付けています。
倉敷の案件は、これが2回目の現地調査ですので、なんとかこれで決着を付けたいと思っています。
倉敷美観地区
2012年03月20日
島根県3日目
今回の調査は、もともとの出身地が分からないという最大のネックを抱えているのですが、幾つかの根拠から3つの地域を推測し、その地域での聞き取り調査を行ってきました。
この地域の方々は実に親切で、突然の訪問にもかかわらず丁寧に接して頂けて、いろいろとお話を伺うことが出来たのですが、なにぶん私が知りたいのは明治の初めのことであり、さすがに80過ぎの方でも生まれる前のことで、どなたに聞いても決定的な情報を得ることは出来ません。
そこで、一端は現地の寺院や墓地・聞き取りなどの調査を止め、約2時間を掛けて松江市の県立図書館に行ってみたところ、尋常小学校の卒業者名簿中に出身地付きのご先祖のお名前を見つけることが出来ました。当初から推測していた3地域のひとつであり、大きな前進です。明治期の卒業者名簿は、結構役に立つことが多いのです。
家系調査では、本来の出身地が分からないというのは、致命的なことですので、これでようやく一地域に特定することができ、ほっとしています。
また、郷土誌にその地域の幕末の宗門改帳が画像付きで引用されていますので、どこかに所蔵されているはずです。明日はそれがどこにあるかを探してみたいと思っています。それが分かれば、この調査は山を越えることとなります。もう一息といったところです。
今日の宿は、少し贅沢をして、玉造温泉のホテル玉泉です。↓
この地域の方々は実に親切で、突然の訪問にもかかわらず丁寧に接して頂けて、いろいろとお話を伺うことが出来たのですが、なにぶん私が知りたいのは明治の初めのことであり、さすがに80過ぎの方でも生まれる前のことで、どなたに聞いても決定的な情報を得ることは出来ません。
そこで、一端は現地の寺院や墓地・聞き取りなどの調査を止め、約2時間を掛けて松江市の県立図書館に行ってみたところ、尋常小学校の卒業者名簿中に出身地付きのご先祖のお名前を見つけることが出来ました。当初から推測していた3地域のひとつであり、大きな前進です。明治期の卒業者名簿は、結構役に立つことが多いのです。
家系調査では、本来の出身地が分からないというのは、致命的なことですので、これでようやく一地域に特定することができ、ほっとしています。
また、郷土誌にその地域の幕末の宗門改帳が画像付きで引用されていますので、どこかに所蔵されているはずです。明日はそれがどこにあるかを探してみたいと思っています。それが分かれば、この調査は山を越えることとなります。もう一息といったところです。
今日の宿は、少し贅沢をして、玉造温泉のホテル玉泉です。↓
2012年03月18日
島根の山間部にて
14日に鹿児島から戻り、3日間を地元の調査に専念した後、今日から島根県の山間部の某地域の調査です。
来る度に思うのですが、島根県は遠いです。
朝8時に自宅を出て、中国自動車道を飛ばし、一番目の訪問先の寺院に着いたのが14時少し前で、途中昼食の時間を入れて約6時間弱の所要時間でした。時間的には東京に行くよりも遠いところです。
下の写真は今夜の宿泊先の駐車場から写した風景。
とにかく、今回の訪問地は右を見ても左を見ても山また山。
甑島で海ばかり見てきましたが、今度は山ばかり見ることになりそうです。

このような地域で困るのは、ゼンリンの住宅地図もカーナビもあまり役立ってくれないことです。
とにかく、山と川と散在する住宅だけで、特に目印となるポイントがない上に、表札を出していない家が多く、地図があってもそこがどこかが分からないという状況が続きます。また、道を聞こうにも誰も歩いていないことも多く、人一倍方向音痴でもありますので、時間だけが刻々と過ぎていくという状況にイライラだけが募ります。
ようやく目的の墓地を見つけた時は、既に薄暗くなっていました。
本来はそのような時間に墓地調査などしないのですが、今日はあまりに道に迷い続けてヤケになっており、懐中電灯を点けながら墓地内を一基ずつ調べて行くということをやりましたが、傍目からみれば実に薄気味悪い景色だったと思います。
ところで、今夜の宿はこちら↓

田舎の地域では、宿の方から情報収集できることが多いので、なるべく近くにあるホテルに泊まるようにしています。
今回はかなりの山間部ですが、調査地域のちょうど中央部に一軒だけホテルがありましたので、大丈夫かなと一抹の不安を感じつつ予約をしていました。
ところが、食事も悪くないし、部屋も良い、温泉は大変良いということで、しっかり合格点を出せるホテルでした。甑島では、全くのハズレだっただけに、今回は満足です。
若い頃は、旅行業界にいただけに宿泊施設のレベルが気になって仕方がありません。
明日は、同姓への聞き取り調査を中心に動く予定です。
今回の調査では、同姓への聞き取りが通常以上に大きな比重を占めているだけに、どのようにアプローチをしていくか、かなり緊張しています。

↑ホテルのロビーでは、今の時期でもこのようなストーブが焚かれています。
さすが山陰ですね。明日の最低気温はマイナス1度ということで、かなり冷え込みそうです。
来る度に思うのですが、島根県は遠いです。
朝8時に自宅を出て、中国自動車道を飛ばし、一番目の訪問先の寺院に着いたのが14時少し前で、途中昼食の時間を入れて約6時間弱の所要時間でした。時間的には東京に行くよりも遠いところです。
下の写真は今夜の宿泊先の駐車場から写した風景。
とにかく、今回の訪問地は右を見ても左を見ても山また山。
甑島で海ばかり見てきましたが、今度は山ばかり見ることになりそうです。
このような地域で困るのは、ゼンリンの住宅地図もカーナビもあまり役立ってくれないことです。
とにかく、山と川と散在する住宅だけで、特に目印となるポイントがない上に、表札を出していない家が多く、地図があってもそこがどこかが分からないという状況が続きます。また、道を聞こうにも誰も歩いていないことも多く、人一倍方向音痴でもありますので、時間だけが刻々と過ぎていくという状況にイライラだけが募ります。
ようやく目的の墓地を見つけた時は、既に薄暗くなっていました。
本来はそのような時間に墓地調査などしないのですが、今日はあまりに道に迷い続けてヤケになっており、懐中電灯を点けながら墓地内を一基ずつ調べて行くということをやりましたが、傍目からみれば実に薄気味悪い景色だったと思います。
ところで、今夜の宿はこちら↓
田舎の地域では、宿の方から情報収集できることが多いので、なるべく近くにあるホテルに泊まるようにしています。
今回はかなりの山間部ですが、調査地域のちょうど中央部に一軒だけホテルがありましたので、大丈夫かなと一抹の不安を感じつつ予約をしていました。
ところが、食事も悪くないし、部屋も良い、温泉は大変良いということで、しっかり合格点を出せるホテルでした。甑島では、全くのハズレだっただけに、今回は満足です。
若い頃は、旅行業界にいただけに宿泊施設のレベルが気になって仕方がありません。
明日は、同姓への聞き取り調査を中心に動く予定です。
今回の調査では、同姓への聞き取りが通常以上に大きな比重を占めているだけに、どのようにアプローチをしていくか、かなり緊張しています。
↑ホテルのロビーでは、今の時期でもこのようなストーブが焚かれています。
さすが山陰ですね。明日の最低気温はマイナス1度ということで、かなり冷え込みそうです。
2012年03月13日
離島の調査は、言い触らすこと。
下甑島での調査は、短い時間で十分な成果を挙げることが出来ました。
お陰で、午後のフェリーで甑島を離れ、鹿児島市内に宿泊しています。
下甑島の手打地区では、レンタカーもないし、バスも1時間に1本程度しか走っていないため、調査の足はレンタサイクルです。自転車で走り回るにはちょうど良い広さのところです。
(下甑島の手打は、映画「釣りバカ日誌」の舞台となったところで、わざとらしくその看板の前でのショットです)
いつもそうなのですが、離島での調査は、とにかく会った方にことごとく「○○家のご先祖を調べている」旨を言っておくようにしています。もちろん、依頼者さんには予め名前を出す了解は得ています。
そうすると、その噂が瞬く間に地域に広がり、墓地を一緒に探してくれたり、菩提寺のご住職や同姓の家の方に話をつけてくれたりして頂けます。また、地域内で郷土史などに詳しい方などを紹介して頂けたりするのです。
今回の場合も、2時間以上は掛かるだろうと覚悟していた墓地調査も、たまたまお墓参りに来られていたおばあさんに、「○○家のお墓を探しているのですが・・・」と話しかけていましたら、この方が他のおじいさん・おばあさんに話をしてくれていて、知らないうちに6名の方が一緒に探すという状況になり、あっという間に見つけることが出来ました。
その後、その中のひとりの方が私が調べている家の親戚筋の家に連れていって頂き、その間に他の方が菩提寺のご住職に話を通してくれていました。そのような皆さんの力を得て、2日目は5時間ほどで調査を終わらせることができ、当初の予定通り鹿児島市内のホテルをキャンセルすることなく、宿泊するということができています。
甑島の方々は、皆さん実に親切で、大いに助かりました。
明日は、終日鹿児島県立図書館で文献の調査です。
お陰で、午後のフェリーで甑島を離れ、鹿児島市内に宿泊しています。
下甑島の手打地区では、レンタカーもないし、バスも1時間に1本程度しか走っていないため、調査の足はレンタサイクルです。自転車で走り回るにはちょうど良い広さのところです。
いつもそうなのですが、離島での調査は、とにかく会った方にことごとく「○○家のご先祖を調べている」旨を言っておくようにしています。もちろん、依頼者さんには予め名前を出す了解は得ています。
そうすると、その噂が瞬く間に地域に広がり、墓地を一緒に探してくれたり、菩提寺のご住職や同姓の家の方に話をつけてくれたりして頂けます。また、地域内で郷土史などに詳しい方などを紹介して頂けたりするのです。
今回の場合も、2時間以上は掛かるだろうと覚悟していた墓地調査も、たまたまお墓参りに来られていたおばあさんに、「○○家のお墓を探しているのですが・・・」と話しかけていましたら、この方が他のおじいさん・おばあさんに話をしてくれていて、知らないうちに6名の方が一緒に探すという状況になり、あっという間に見つけることが出来ました。
その後、その中のひとりの方が私が調べている家の親戚筋の家に連れていって頂き、その間に他の方が菩提寺のご住職に話を通してくれていました。そのような皆さんの力を得て、2日目は5時間ほどで調査を終わらせることができ、当初の予定通り鹿児島市内のホテルをキャンセルすることなく、宿泊するということができています。
甑島の方々は、皆さん実に親切で、大いに助かりました。
明日は、終日鹿児島県立図書館で文献の調査です。
2012年03月12日
ようやく甑島へ!
昨日に引き続き午前中の便も欠航となり、どうなることかと心配していましたが、午後の便が出航することとなり、ようやく甑島に来ることが出来ました。今夜は、下甑島の宿「竜宮の郷」に泊まっています。

午前中まで欠航だっただけに、航行中は沈んでしまうのではないかと内心ヒヤヒヤするような荒波で、本当に離島の調査は考えものだと思いました。
今回の目的地は、下甑島の南端の手打というところ。
源平の昔、平家の残党がここまで落ち延びることが出来て、手を打って喜んだという伝説があり、ここから手打という地名となったとのこと。このため、今でも平家の落人の末裔であるという伝承の残る家があります。
やっとのことで着いた手打ですが、港に着いたのが14:50過ぎ。
ホテルの迎えの方に荷物だけ預けて、早速墓地調査を行いましたが、山の斜面一帯に広がる広い墓地を約2時間ほど掛けて調べた結果、幕末から享保の年号まで彫られた古い墓石を発見することが出来ました。薩摩藩の郷士だろうと推測していましたが、享保の古い墓石から、苗字と諱が付いた俗名が彫られており、推測の正しさが確認出来たように思います。僅かな時間ですが、大きな成果です。

残念ながら、ここの図書館は17:10で閉館ですし、重要視していた郷土歴史館は定休日の為これ以上することがなく、また町には何もないので、ホテルに戻るしか選択肢がありませんでした。
明日は、さらにもう一箇所の墓地調査と、同姓の家への聞き取り調査を中心に動く予定です。明日の宿泊は、出発前から鹿児島市内のホテルを予約しているのですが、明日の成果次第で、明日の午後の便で鹿児島市に行けるのか、予約済みのホテルをキャンセルしてさらに甑島に滞在を重ねなければならないのかが決まります。
とにかく、早朝からレンタサイクルで走り回ります。
午前中まで欠航だっただけに、航行中は沈んでしまうのではないかと内心ヒヤヒヤするような荒波で、本当に離島の調査は考えものだと思いました。
今回の目的地は、下甑島の南端の手打というところ。
源平の昔、平家の残党がここまで落ち延びることが出来て、手を打って喜んだという伝説があり、ここから手打という地名となったとのこと。このため、今でも平家の落人の末裔であるという伝承の残る家があります。
やっとのことで着いた手打ですが、港に着いたのが14:50過ぎ。
ホテルの迎えの方に荷物だけ預けて、早速墓地調査を行いましたが、山の斜面一帯に広がる広い墓地を約2時間ほど掛けて調べた結果、幕末から享保の年号まで彫られた古い墓石を発見することが出来ました。薩摩藩の郷士だろうと推測していましたが、享保の古い墓石から、苗字と諱が付いた俗名が彫られており、推測の正しさが確認出来たように思います。僅かな時間ですが、大きな成果です。
残念ながら、ここの図書館は17:10で閉館ですし、重要視していた郷土歴史館は定休日の為これ以上することがなく、また町には何もないので、ホテルに戻るしか選択肢がありませんでした。
明日は、さらにもう一箇所の墓地調査と、同姓の家への聞き取り調査を中心に動く予定です。明日の宿泊は、出発前から鹿児島市内のホテルを予約しているのですが、明日の成果次第で、明日の午後の便で鹿児島市に行けるのか、予約済みのホテルをキャンセルしてさらに甑島に滞在を重ねなければならないのかが決まります。
とにかく、早朝からレンタサイクルで走り回ります。
2012年03月11日
甑列島、波高し!
本日は、甑島に行く予定でしたが、高速船の出発の1時間半前になって、高波のため突如運休となってしまいました。その後に出るフェリーも運休となり、用も無い薩摩川内駅前のホテルに泊まって、虚しく時間を過ごしています。

実は、先月18日にも出発の1時間前に突如運休となったことがあり、これで2度目です。いつまで経っても現地調査に行けません。
甑島行きの船が出る鹿児島県の串木野新港までは、自宅からタクシーに乗って最寄の駅に行き、そこから在来線で博多駅に行き、そこで九州新幹線に乗り換え、薩摩川内駅で降りてまた在来線に乗り換えて串木野駅に行き、そこからタクシーでやっと港に着くという過程を経るのですが、そこまでして港で待っているところで突然運休を告げられると、もうどうしようもない脱力感に襲われます。いつも出発直前に運休が決定するため、用心の仕様がありません。
船会社によると、明日も出せるかどうかは、直前になってみなければ分からないということで、とにかく船が出るまで辛抱強く待つしかありません。
先月は、その日だけで諦めて帰ってきましたが、それでも交通費や前泊の費用など数万円の損失を出しました。今回は私の体調を慮って2人連れであり、損失は2倍です。
ただ、金銭上の問題以上に、今は寝込んだ2週間の時間のブランクが大きいので、3度目の出張計画を立てる時間的余裕がなく、何としても今回の出張で島に渡らなければなりません。船が出るまでいつまでも滞在し続けるつもりでいます。
甑島には罪はありませんが、なんともこの近くて遠い島が恨めしい・・・
実は、先月18日にも出発の1時間前に突如運休となったことがあり、これで2度目です。いつまで経っても現地調査に行けません。
甑島行きの船が出る鹿児島県の串木野新港までは、自宅からタクシーに乗って最寄の駅に行き、そこから在来線で博多駅に行き、そこで九州新幹線に乗り換え、薩摩川内駅で降りてまた在来線に乗り換えて串木野駅に行き、そこからタクシーでやっと港に着くという過程を経るのですが、そこまでして港で待っているところで突然運休を告げられると、もうどうしようもない脱力感に襲われます。いつも出発直前に運休が決定するため、用心の仕様がありません。
船会社によると、明日も出せるかどうかは、直前になってみなければ分からないということで、とにかく船が出るまで辛抱強く待つしかありません。
先月は、その日だけで諦めて帰ってきましたが、それでも交通費や前泊の費用など数万円の損失を出しました。今回は私の体調を慮って2人連れであり、損失は2倍です。
ただ、金銭上の問題以上に、今は寝込んだ2週間の時間のブランクが大きいので、3度目の出張計画を立てる時間的余裕がなく、何としても今回の出張で島に渡らなければなりません。船が出るまでいつまでも滞在し続けるつもりでいます。
甑島には罪はありませんが、なんともこの近くて遠い島が恨めしい・・・


